国家の品格



国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)


「論理を徹底すれば問題が解決できる」という考え方は誤りです。

論理を徹底したことが、今日のさまざまな破綻を産んでしまったとも言えるのです。

なぜなら「論理」それ自体に内在する問題があり、これは永久に乗り越えられないからです。

今、日本もアメリカに習うように実力主義になってきている。

会社の利益を追求し、会社にとって不必要な人間はクビを切られる。

それにより、会社はどんどん良くなる。

それは、とても合理的な考えだけど、

それがまかり通るような社会は、安定性を欠き荒廃していく。

終身雇用や年功序列では確かに会社にとってお荷物な人もいることになる。

でも、

どこの会社もため息つきながらそういう人を抱え、出来る人がその分をカバーし、

文句言いつつ負の資産背負いながら仕事をする。

もちろん、不満はある。無い方がおかしい。

だから仕事帰りに愚痴をつまみに、お酒を飲む。

でも社会全体で(世の中ってこんなもんなんだろうなー)という一体感があったように思う。

不満が出ることも、飲み過ぎてしまうことも含めての、社会の共感と安定があった。

私はよく職場で「私たちって運命共同体だよね」という言葉を口にした。

泣くも笑うもみんな一緒。その思いがとても強かった。

欧米は、すべてが論理です。論理をとことん貫き、合理的に考えます。

でも、論理を突き詰めた先には、何故か弊害が出る。これは必然です。

AをすればBになる。これが論理です。

A→B

実力のある社員のみの会社→儲かる

この『矢印』の部分の論理は、大抵あっています。

でも世の中はそれだけで出来てない。

AやB以外の切られた社員のいく末、実力主義で過剰勤務になった者の家族、潰されていく同業者。

人の脳内で組み立てられる論理には限界があって、

それに気づかず突き詰めていくと、必ずおかしなことになる。

「金儲けの何が悪い」

論理的には、悪くないんです。

論理は正しいけど、世の中はおかしくなった。それが脳内でなく現実です。

これが論理の破綻で、今の先進国社会の荒廃は、西欧的な論理、近代的合理精神の過信から起きている。

人が理解できるのは、ワンステップ、ツーステップくらいです。

A→Bです。A→B→Cくらいです。

アラブの春と言って、アラブが平和への第一歩を踏み出したかのようですけど、

民主化とは、テロ集団も独裁の封印から解き放たれ力をつけることが出来る。

民主化すれば平和が訪れると思うのは、やはり論理の過信だったと思います。

民主主義の盲点は、

国民が主権であり、主権をもった国民が政治の主導権を握るということ。

国民が大局をもって物事判断出来れば、なんの問題もないのですが、

世論は、近所のオバチャンの噂話みたいなものです。

今、原発賛成反対で、国民の投票で決めるべきだという意見も出ている。

民主主義とはそういうものではあるけど、

そんな重大なことを多数決で○か×かで決められるほど、国民は原発の知識をもっているのか。

知識というのは、マスコミだったり、テレビだったり、書物だったり、ネットだったり、

その発信源の信ぴょう性も定かではない。

そこからの判断が、本当に正しいものかどうかなど、未知数でしかない。

民主主義だけど、なんでもかんでも多数決というわけにはいかない。

論理の過信は社会を滅ぼすことにもなる。

独裁政治であっても、君主が自ら原発の敷地内に住まいを持つような、

管理に対して勇気と英知がある人なら国民はついていくでしょう。

危険物から遠く高い所から「安全です。大丈夫です。」では誰も信用しない。



本当に重要なことは、親や先生が幼いうちから押し付けないといけません。

たいていの場合、説明など不要です。頭ごなしに押し付けてよい。

もちろん子供は、反発したり、後になって別の新しい価値観を見出すかもしれません。

それはそれでよい。

初めに何かの基準を与えないと、子供としては動きがとれないのです。

うちの親も「理屈ではない、いけないものはいけない。」と、親の特権をいつも行使して、

そんな時「大人ってズルイな」と思ってた。

でも本当に大切なことに、理屈はないんです。

理屈を突き詰めても、ロクなものが出てこないことを、私の親の世代は当然と思っています。

会津藩の「ならぬものはならぬ」の教えが、論理より重要なのです。

イスラムの教えも論理や合理化を受け入れにくいものです。

では何故こんなにもイスラム教が世界で受けいれられたかというと、

人間的だから・・・に、思います。

原始的なんです。わかりやすい。

原始的だから欧米からは見下されます。

でも、文明が進むと、文化が廃れる。

それを考えると、必ずしも近代化や発展や改革が良いとはいえない。

イスラムでは、仕事より休みを重んじます。

イスラムの社会にとって大切なことは経済より家です。

女性の社会進出を認めないのも、女性が社会に出るようになると家や社会が乱れるから。

ご尤もです。

でも、女性の社会進出が認められないから、アラブは経済的に潤わないし、発展しずらい。

でもそういう理屈抜きに、アラーの神がそう言ったから、ダメなのです。

欧米感覚で女性差別と言われようと、誰がなんと言おうと、ダメなものはダメなのです。

武士道の「ならぬものはならぬ」と、イスラムの「すべてはアラー」は、非論理的なところが共通してます。

論理は大切です。

でも、論理への過信と徹底した合理化は世の中をおかしくします。

アラブの春を読んで抱いた違和感が、この本でかなり払拭されました。

論理を突き詰めると破綻をする。これは必然ということ。

納得です。