国家の品格


朝5時前、雨戸を開けると、高校の駅伝部の子たちが走っていた。

夏合宿でしょうか。

大人のジョギングとはスピードがまったく違う。

淡々とひたむきに、エライなぁ。

走るって終始無言なわけで、そのストイックさに惹かれます。



国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

読了。

論理に限界がある以上、法律にも必ずどこかに抜け道がある。

だからといって、その道を喜び勇んで通っていいのか。

法の目をかいくぐって、上手くやり抜けたとして、それは自分にも親にも子どもにも誇れることなのか。

他の国には道徳の規範として聖書がある。コーランがある。

やっていいこと、悪いことが書いてあり、そこに照らし合わせ善悪の判断をする。

日本にはそんなものは無い。

そんなものは無くても、心に道徳を持っている。幼い子だってもっている。

法律にもどこにも無いところでも道徳心をもっているのが日本人だと思う。

だからあれほどの大震災にもかかわらず、東北の人たちはマナーが良く、その行動を世界中が称賛した。

法律違反じゃないからいいとか、法律違反だから悪いとか、

そんなことでしか判断出来ないとしたら、あまりにもせちがらい。

日本人は規則ではなく、心で考え行動する人種に思います。

規則以外の部分で道徳がどれだけ守られているか。

難しいことだけど、日本人の美はそこだったのではないかと思う。

いじめはいけない。

なんでいけないかの理屈ではなく、いけないものはいけない。

そのことを子どもに教えるためになら、親や教師は子どもを叩いて教えてもかまわないと思う。

いじめと、教える為に手を挙げるのと、どちらも同じ暴力じゃないかといえば、論理的にはそうです。

文字や言葉にするとそうなっちゃうけど、

親や教師が教えの為に子どもを叩けば、叩かれた子ども以上に手も心も痛む。

行為は同じ、言葉にしても同じだけど、両方が違うことは誰だって心でわかってる。

文字や言葉という形あるものにしようとすると変テコになってしまう。

それを、教育のためにやむおえず手をあげることまで、ひっくるめて暴力と考えるから余計ややこしくなる。

今の世の中、とてもややこしい。

ややこしい規則がどんどん増えていく。

本来道徳心で判別出来ていたものが、出来なくなってきて、

日本には聖書のような教則本があるわけではないので、それならば規則を作ろうとしか方法が

(形にするしか)思いつかないのだと思うけど、

本当は日本の道徳心は文字や言葉に出来るようなことでは無いと思う。

心身、心と身体で会得しているもの。

なのでやっぱり心や身体の外に出ると変テコになってしまう気がする。



新渡戸稲造は武士道の最高の美徳として、

「敗者への共感」「劣者への同情」「弱者への愛情」と書いております。

まさに「惻隠」をもっとも重要視しているのです。

惻隠は現在のような市場経済による弱肉強食の世界においては、特に重要な徳目だと思います。

惻隠とは、「もののあわれ」です。

考えてみれば、

平家物語」も「源氏物語」も家に当たり前のようにあった。

もののあわれ」の文学ですね。

相手を思いやる心に美しさをみる。

上杉と武田の「敵に塩を送る」もそうですけど、敵対する相手であっても窮状と知れば捨てずにはおけない。

好きな人にならいくらでも愛を捧げることは出来るけど

もののあわれの心が無ければこのような行動はとれない。

今失われてきているのはこういうことではないのかな。

中国では憎む相手は墓まで掘り起こします。

日本人には無い感覚です。日本では死者は悼むものです。

遺体を傷つけるような、亡くなった人にムチ打つ発想は日本人にはありません。

このように、論理の出発点には、情緒が大きく関わってきます。

だから情緒は大切なのです。

情緒は子どもの頃の読書が大切だそうです。

今は、テレビ、ネットと心をそそるものが多くあって、なかなか読書という

うすらとぼけた物に付き合ってる時間ないかもしれないけど、

読書は栄養です。その場ですぐ効果があらわれるものではないけど、心の深みの問題。

どんどん層が深くなってゆきます。

もっと言ってしまうと、子どもの読書が国を作ります。国の方向性に関わってきます。

読まなければ読まないで仕方がないと思います、

ただ読まない結果の国が出来ていくだけです。



どんな国でも経済的に発展する場合、特に工業の発展がベースになります。

金融やサービスによる繁栄は、偽の繁栄であり長続きしません。

どの国でも、多少の才覚さえあれば、すぐに真似ることができるからです。

一方、工業が発展するには、高い質の労働者の他に、それを支える基礎力としての

数学や理論物理が強くないとうまくいきません。

工業やエンジニアリング、テクノロジーなどは言わば「風下」にあたるわけですが、

風上にあたる数学や理論物理のレベルが高くないと、長期的な発展は望み得ない。

サービス業って空っぽなんですよね。

何も生み出さず、右から左に動かしているだけ。

世の中で大切ではあるけれど、そんなに儲けてはいけない仕事のような気がします。

作っている人、ゼロから何かを生み出している人、そのような人たちへの尊敬無しでは成し得ません。

昭和の日本の発展は、江戸、、明治、大正と培ってきた日本人の学力です。

資源をもたない日本の一番の資産は、学力でした。

でも今その資産は食い潰してしまいました。

しょうがないですね。

初代が築き、苦労を見てきた2代目が淡々とつなぎ、苦労を知らない3代目が食いつぶしてしまうのは世のならいですから。

食いつぶした先に、初めて見えてくるものもあるでしょ。

失って初めて気づく。

私もそんなことばかりです。