春の訪れ


生きることは大変で。

大河を渡る力を養っていかなければいけないのに、

今の世の中は、守ってあげることに力を注いでいる。

他力には限界がある。

親も法律も社会もすべての人間を守りきれるわけではない。

最後に守れるのは自分自身しかないのに、

その力を社会がどんどん奪いとっている。

人が人を守りきれないという普遍性を忘れている。

人は人の悲しみを代わってあげられないという普遍性を忘れてる。


生きることは大変で。

どんな世の中になろうと、人生には悲しみも苦しみもあることが必然で、

だから他者からのほんの少しの優しが心にしみて、

音楽に癒され、子供たちの笑顔に救われ、

大地と天からの恵だけで今年もまた咲く桜の逞しさ、散りゆく儚さに心を寄せる。

避けられないつらいこと、悲しいこと、どうにもならないこともある。

そんな時は泣くしかない。苦しむしかない。

どうつくろっても、悲しみの現実は変えられない。

人の死はたかが化学変化。と言ったところで死の現実が何も変わるわけでもない。

でも

悲しみの中では歓びが、

歓びの中には悲しみが、

必ず潜んでいる。

悲しみの海の中のわずかな歓びの雫、それがすべてを消し去ってくれるわけではないけれど、

悲しみは悲しみで存在するとしても、

歓びも歓びとして存在するのも確かなこと。

太陽の恵みも、荒れ狂う風も、どちらも受け入れ生きることを桜の木が教えてくれる。


生きることは大変で。

人は弱いから、すがるものを必要とし、

それが悪魔の杖とわかっていても、寄りかかってしまう。

やがて、

その悪魔の杖さえ手放さなければならない時がくるかもしれない。

その時はさらなる苦しみと、自己嫌悪に苛まれるかもしれない。

でもそんな弱さや過ちも含めて人間で、

自分の弱さを知ることで、他者への寛容さをもてるのかもしれない。


今年もまた春が来た。

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水仙の株が毎年増えていく。

今日はホットドック用のパンを焼いた。

それと、野菜とお豆たっぷりのスープを作ってランチ。

今ある現実の中で、無理なく私なりの生き方出来ているような気がして嬉しくなる。

私の中である部分がふっきれた。

これでいいんだと。

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アーサー王物語、面白かった。

物語はごくごく単純なのだけど、単純で複雑(笑)

複雑というのは、宗教観も時代も世界観も設定がゴチャ混ぜになってる。自由度が高いです。

そもそも円卓の騎士という無限のサークルを囲むことで騎士たちに上下がない。

皆が伸び伸びとしていて、気持ちがいい。

元祖ファンタジーな感じです。