フランス革命ナポレオン



世界の歴史〈15〉フランス革命 (河出文庫)

世界の歴史〈15〉フランス革命 (河出文庫)

読了。

この本は、フランス革命10年とナポレオン政権20年、両方を併せてフランス革命とみている。

読み応えあった。

中江兆民フランス革命をこう表現している。


フランス国は、自由平等のきちがい病院といえよう。

この国は、自分自身が発狂することによって、他国の精神病を治療するものといえるし、

自分自身が過失をおかすことによって、他国の過失を治療するものといえよう。

全国民が挙国一致して他国を戒める立て札となって、他国はこれを望み見て自戒することになる。

これこそフランス国の短所でもあり、長所でもあるし、災厄でもあるし、幸福でもある。

フランス国の禍乱はつねにヨーロッパ大陸諸国の治平の種子である。

う〜む、これ以上ない的確な表現に思う。

差別用語を使ってはいけないと思うけど、それ以外の言葉で表現出来ない。

蔑んでいるわけではなく、手のつけようのない、いたましさだ。

もし、日本の歴史教育フランス革命をサラっと流しているとしたら、それは罪に思う。

時間も距離も現在の私たちからは程遠く、無関係のようだけど、

人間とはなにか、社会とはなにか、私たちはフランス革命から多くを与えてもらうことが出来る。

それがフランス革命の最大の功績といえるのかも。

歴史学というより哲学で捉えたい。

中江兆民の言葉(日本に哲学なし)


「哲学なき人民は何事をなしても深い意味がなく、浅薄さを免れない・・・

自分自身で造った哲学がなく、政治には主義がなく、政党の争いもその場だけで継続性がない、

その原因は実にここにあるのだ。

こざかしくて目先の知恵ははあるが、偉大なことを打ち建てるには不適当な理由がある。

きわめて常識に富んだ人民であはるが、常識をこえて何かをなすことはとうてい望むことができない」

現代の日本の状況を100年も前から嘆いている人がいるのに、日本は変わらない。

親が変わらなければ子は変わらない。

古典より、ハウツー本に目がいっているうちは変わらない。


この本の後半は、ナポレオンに終始する。

フランス革命により王政は倒され共和制となったが、

ナポレオンの帝政は王政以上に自分に権力を集中させることとなる。

国内の乱れは、国の外に敵を作り、国民にナショナリズムを持たせることで一種の目くらましになる。

どれだけ自国に不満があっても、他国が侵入してくるとなれば、

文句言ってる場合ではない。国家一丸となって戦う。

ナポレオンの革命は国内というより国外、欧州に向けての革命であった。

ナポレオンの言葉に人は酔い、国民の熱狂にナポレオンは酔う。

言葉だけでなく、ヨーロッパ大陸をほぼ征服、国を潤し、ひとときの繁栄を与えた手腕は天才的。

人々はナポレオンに歓喜し、ナポレオンはそれ故ことさら大きな野望を抱く。

そして、自分の才能と手にした力によって、自ら滅びていった。

力をもったものの宿命。

ギリシア神話のシュシュポスそのもの。

ただ、

国家が国家として機能していなかったのだから、

誰かが、こうせざるおえなかったのかもしれない。

そんな中で、若き天才が現れ、人々は彼に期待し、天才もそれに応えようとした。

なんで人は、人の上に立ちたがるのだろう。

なんで人は、正義に酔うんだろう。

正義は己の心に抱くもので、ふりかざすと美徳にも悪臭にもなるように思う。

今、テロが悪である認識は間違っていない。

そして、人が心の中で時にテロを求めることがあることも認めなければいけないと思う。


フランス革命

判断をくだせるようなものではないし、私がすべきことでもない。

何がいいとか、悪いとか、そういう次元のものでなく、

そのままの姿を見てひとりひとりが何かを感じる。そういうものに思う。