メデューサ
『人間の「感情」から理解する世界の歴史』と銘うった書。
今、私が一番気になっていることだなー。
少し読んだだけだけど、
この中に『視線の支配』という言葉が出てくる。
この世の中は、視覚が優位の世の中になっている。
視覚中心の世界。
TVに出ているような著名人は、力をもっているようで、
実は、支配しているのはTVやネットの前に座って見ている私たちなのだと。
人間は、見る方(支配者)→見られる方(被支配者)という支配関係になっていて、
TVやネットの中にいる人間を奉るのも、落とし込むのも、見ている側が握っている。
ギリシャ神話に出てくるメデューサは、見るものを石にする力をもっている。
私は、メデューサであり、権力者だったか。
自分ひとりだと、権力者と言われてもピンとはこないけど、
視線の先にあるものを容易に傷つけることが出来る。
メデューサは女神です。宝石のような瞳に、髪は蛇・・・・・
ギリシャ神話の神は神であるが、人間を映しだす鏡なのかもしれない。
神話を蔑ろには出来ない。
世界は視覚中心だから、自民が圧勝という図式しか見えてこない。
自民は前回より得票数を落としているのに。
本質は投票率が低いことで、本当はそこを考えなければいけないのに、
無(無投票)いものは、視線の先に無いから、視覚社会ではスルーされる。
視覚中心社会は、目に映るものをリアルに見ようとするルネッサンス、レオナルドダヴィンチの遠近法から始まった。
その結果、無投票は存在が無いことになってしまう・・・・・
無いものの中にある『有る』がどんどん抹殺されていく。
私がこうして本ばかり読み漁っているのも視覚中心のあらわれ。
小説は純粋に心の栄養。
でも情報のものを読んでいるのは、情報化社会だから。
情報!情報!情報!
今は情報を早く掴んだ者が豊かになれる時代。
だからなんでもかんでもハウツー本だったり、ネットだったり。
情報で安心を得てるつもりが、
それが、キリの無い情報に操られまくっている証拠。
これも、社会の中心が経済、簡単に言えばお金になっているため。
グローバルは、ものの考えかたより、物品より、お金の流れが速い。
人の一生が、こんなもんでいいのかな(笑)
やり方、勝ち方を知り、結果を掴んだものが勝者の世界。
柔道がそうなんだろうな。
美しい一本の柔道より、メダルを取れる負けない柔道。
意識より視覚の世界。
ルネッサンスの開花は、それ以前の宗教(カトリック)で弾圧された社会からの解放。
ところが、解放したはずのプロテスタントは厳しい禁欲を強いる。
なので、ひたすら働きお金を貯めることになり、そこから資本主義が起こる。
キリスト教と資本主義と近代化の合体ロボ完成。
と、まぁこの『さっくり!世界史』は、ホントざっくりだけど、
時代と分野を超えたものは、私のような頭ではなかなか繋がっていかないので、
このざっくりさが、世界史の醍醐味に思います。