文化人類学入門



文化人類学入門 (中公新書 (560))

文化人類学入門 (中公新書 (560))

読み終えてすぐ、著者の訃報をきいた。

人類学。

人間学ともいえるのかもしれない。

人にとって一番身近なことで、

政治にしろ、経済にしろ、科学にしろ、すべては人に繋がるのに、

学校では蔑ろにされている分野。

人という観点に立って物事を見る。

そうしているようで、実は『人』が蔑ろにされているのではないかと、この本を読むと思う。

この人は、何で出来ているんだろうと、

私はよく考える。

ついつい、生まれとか育ちとか、何を学んだとか血筋とか、探りたくなるけど、

その人の周りにある草花1本でも、その人に影響を及ぼしているのだな。と。

木を見て、森を見ずになってた。

森も、

山も海も、星も月も、宇宙すべてが、その人に関っている。

どんなことも、

無関係ということはない。

この世に自分と(が)無関係なものは何も無い。


人類学とは、人を細かく見てゆく作業。

しいては、

それが人種差別を助長させることにもなったりもするのですが。

日本維新にしても、票が伸びなかったのは実は、大阪維新だからというのも一因にあると思う。

東の人間にしてみれば、最初にやって欲しいのは、東北のこと。

東北がこのままの姿では、人々の背負った傷は癒されない。

東に住む私にしてみれば、(西の人間に東北の何がわかる!)

という、いわば偏見です。

いくら石原慎太郎とくっついても、維新は維新。大阪維新

偏見は、自己防衛という本能でもあるので、悪いとばかりも言えない。

でも差別となると、理性が絡んでくる。

だから人は「西の者に東北を任せられるもんか!」とは口にはしない。

でも深層にはそれがあると思う。それは東北を守りたい、救いたい(防衛本能)心の裏返しでもある。

維新が志高くがんばっても乗り越えられなかった壁は、

政治ではなく人間の深層心理(偏見)だったのではないかと思う。

表面上は見えてこない部分で、理性で作られているTVでは言わないと思うけど・・・

ただこれは時間をゆっくりかければ、いつか自然と受け入れられるようになると私は思う。

石原とくっつけばいいなんて、甘いものではない。

人類学を読んで、そんな風に感じた。


民族によっては、

女性が狩りにゆき、男性が家でカゴなどを編んでいる。男性は弱くて、すぐ泣く。

面白いなー。

これほど、人間は民族によって違う。

そしてここからが本題。

昔ハワイは裸で、宣教師が服を着せるように指導をした。

大勢の服を作るのに、1人1人サイズを測っていたら大変なので、大きめのダボっとしたワンピースを作ったら、

喜ばれて、それがムゥムゥの始まり。

同じようにアフリカの裸の民族に服を着せたら、蒸れて皮膚病になってしまった。

それまでは、身分によって、象徴的な飾りをつけていたのが、洋服によって画一化され、

象徴体系が崩れ去り、伝統的な社会関係や価値意識が崩壊してしまった。


他民族に価値観を押し付けてはいけないのは、

アイヌ民族アメリカインディアンを見てもわかる。

では、

首狩族はどうなのか。

(首狩族とは、確か、いっぱい首を狩った人が勇敢で褒め称えられるんだと思う)

無益な殺生はいけないという文明人の価値観を助言すべきかどうか。


このことを考えるにあたって、

『全世界に共通した善悪の基準はあるか』をあらゆる角度から研究した結果、

善悪の判断について世界共通の基準や法則については、結局はっきりした答えは得られていない。

これは、

結局『人の幸せがどこにあるか』ということになるのだろうけど、

それが明確に出来ない以上、善悪も明確に出来ない。

ということになるのだと思う。


そんな中で、TPP・・・・・・

は、やはりおかしいね。

世界で善悪の基準が違う。だから国ごとにルールも違う。

TPPとは、それを統一しましょう。ということ。

経済の観点からしか考えてないように思う。

たとえば

首狩族と日本が共通のルールで、交流しましょう♪

って、一見平和で良さそうだけど、

文化というのは、

物質は、わりと交わりやすいが、

非物質は、交じわりにくい性質がある。

物質は、たとえば衣食といった品物。

非物質は、考えかたや言語。

日本国内をみても、食文化は交わっても、方言はなかなか交わらない。

世界中の言語の不一致がどれほど不便なことか、

それでも西暦2012年の今でも言語は統一されない。

TPPは、物質な面だけをみて考えてる。

物質は、上手く流通出来ると思うが、

人の考えかたの方を無視してる。

善悪の違うものを統一するということは、民族の倫理観を変えるという意味にもなる。

首狩り族が日本食を好んで食べることは可能でも、

私たちは首狩りはしない。

そして、TPPから脱退するのは自由だけど、その場合、莫大な賠償金をとられる。

TPPは、人類学を無視したやり方に思う。


多少は違うかもしれないですが、

イギリスは、ユーロを導入しなかった。

このことが、正解か不正解かは別にして、

いかにも英国らしいと思います。

自国の誇り・・・だけでは無いでしょうけど、

腐ってもイギリス!

を貫く国なのでしょうね。今になって思うとすごい(笑)

日本は、世界から取り残されるのが不安でTPPに参加しないという考えがあると思いますけど、

イギリスは取り残されることより、女王陛下の紙幣が無くなることを懸念した(笑)

と、いうわけでもないでしょうけど、

経済がダメになることを恐れず、仲間ハズレになることも恐れず、自国の観念は貫くものと思っている。

これがイギリスのイギリスたる所以なのでしょうね。

日本は、これで経済が悪化したらどうしよう・・・とビクビクしている。


著者祖父江孝男さんは、人類学の観点からTPPをどう考えていらしたのでしょう。

是非うかがってみたかったです。