アキレスと亀


『西洋哲学の10冊』の中のベルクソン『時間と自由』

『若き数学者のアメリカ』

の両方に『アキレスと亀』という古代の哲学の話が出てた。

足の速いアキレスは、前方の亀をごくごく近くまで追えても、永久に亀に追いつくことが出来ない。

というあくまで理論上の話なのですけど。

藤原の生徒が、

「充分に近くなってから、アキレスが腕を伸ばして亀を捕まえてしまえばよい。すなわちアキレスは亀に追いつく。」

と解答したそうだ。

さすがアメリカ人(笑)


私は、この解答を読んで、ああそうかと思った。

世の中は、そうなんだ。

共産主義も資本主義も、理論的には間違いがない。

ただ、

やるのが人間であるということが、この思想の中に含まれてない。

中国の理想政治だって、中国人全員がロボットなら完璧なのだ。

いや、全員が孔子なら、日本も中国も政府自体いらないのだけど。

政治の理想は、ロボットなら叶えられる話だけど、

実際は人間だから、解答のアキレスのように、つい手を伸ばして亀を捕まえてしまう。

理想政治は国民すべてが性善説の上での話なのかも。

ベルクソンの言うように、時間を点で考え固定した時のみ成立する理論。そういうものなのかな。

TPPにしたって、最初の理念は良かった。

チリ、ニュージランド、ブルネイシンガポールで、お互い足りない部分(資源、農産物)を補なってゆきましょう

と始まった協定だったのに、参加国が増え、

いつの間にか自国に有利に進める為の協定になってしまった。

何かがおかしい。

人間はどうしても、つい亀を捕まえてしまうものなのだ。


人間に歪みがある以上、人間の生みだしたシステムにもどこか歪みがある。

壊れない物がないように、完璧なものなど無い。

その中で、日本の天皇制というシステムは壊れることなく続いている。

まるで揺るぎないように思うけど、

それだって

美智子様が声が出なくなったり、雅子様が心を病まれたり、

今もそんな中で保たれている。

私は何か嫌なことがあれば、友達に愚痴をこぼしたり、ブログに書き殴ったり、

どこにでも発散する場所がある。

でも皇室では、どんな苦しみも一切を漏らすことが出来ない。

万が一にも外部に漏れる様なことがあってはならないから

誰かに何かを打ち明ける・・・という人間の当たり前のことが出来ない。

苦しみを誰とも分かち合えないなんて、人間らしい生活とは言えない。

いたわしい・・・・・

人間は、世の中を良くしようと、一生懸命やってるけど、

人間が人間らしくあればあるほど、良い状態を保つなど無理なことに思う。

この世に悲しみが無い方がいいと思うけど、そうしたら誰一人死ねない。

そんなのは人間ではない。


理想の状態が保てないということは、人は常に戦っているのかもしれない。

生きるとはそういうことなのかな。

疲れる、非常に疲れる。

なんだかうんざりする。

日本は自国を守ることをアメリカの手に委ねている。

その為に多くの犠牲は払っているけど、自らは何もしてない。

だから私は、生きることが戦うことという根本的なことを見失ってるのかな。

日本の戦国時代でさえ、世界の中ではもっとも平和という部類に入ってしまう。

自分が今ピストルを携えなくても過ごせることを、感謝しないといけないな。


世界は、まやかしだらけ。

国の借金うんぬんだって、

どれだけ言われても、実感が伴わないからどうしようもない。

実感が伴わないのは、からくりがあるんだろうな。

実感の無い世の中というのは、まやかしで溢れているように思う。

今国の税収が40兆円で、社会保障費が30兆円。

デフレ脱却出来なければ益々税収は下がって、社会保障費は上がって、社会保障だけでも破綻。

社会保障なるものによって、社会の形が変わってきたけど、

古来、女性は外に働きに行かず家を守ってた。

そして子供をいっぱい産んだ。

人は死ぬまで働き、そして時期がくれば死んでいった。

それが当たり前だった。それが人間だった。

国は理論上だけのアキレスと亀社会保障をうちたてたのではないのかな。


お金が消えるわけでは無いのだから、

お金はどこかにはある。

アメリカに流れているのかなー?

安全を委ねるということは、そういうことなのかな。

まぁそう言っても

お金は、実は・・・・・ただの紙切れだったりして・・・・・

裸の王様みたいに。

実感の伴わない社会は何かがおかしくなっても、神経が麻痺してわからないのが怖い。