FINDING FORRESTER
藤原正彦は、アメリカの大学で教鞭をとっていたので、アメリカでの教育について多くを語っている。
30年以上前のものなので、現在はどうかはわからないけど、
ユダヤ系学生がある問題で正解が7/5のところを6/5としたので当然0点を与えたのだがそれが気に入らなかった。
「たった1/5しか違わないのに、1点もくれないのはおかしい。馬鹿げている。日本ではそんな採点をしているんですか。」
さすがユダヤ(笑)
日本でも唯一、大阪のおばちゃんという人種は、自分なりの正論を堂々と言う点では、
なにやらアメリカ的だなーと妙に感心してみたり。
このように、アメリカの大学生は納得がいかなければ教師に問いただす。
教師と自分が対等なのです。
私が黒人にエレクトーンを教えて気づいたのは、彼は自分の好きな曲しか弾かない。
私が出した課題など、馬耳東風。
自分のやりたくないものは絶対やらない。
新しい曲を試みようなど全く無く、毎回同じ、好きな曲を嬉しそうに弾く。
それではレッスンにならないので、一緒にその曲をアレンジしていく。
教えているという感覚でなく、舐められてるというのでもなく、対等だと感じる。
日本の生徒で、そんな人はひとりもいない。
当たり前のように与えられた教則本の課題曲に取り組む。
日本人は教科書どおり完璧に弾く事を目標とし、美しく弾けるように育つ。
でもそれは教科書のコピーで、教科書以上にしようとはしない。
アメリカでは、高校までは知識でなく思考を育てる。
知識に憧れて大学に入ってくるので、学べることを欲して入ってくる。
受験戦争も無いので、「入ったら遊ぼう」がない。
受験戦争が無いのは、大学による優劣がないせいで、
ハーバードやごく一部は、富裕層のためのものであって、庶民には関係無い。
なので、就職も出身校は関係無く、大学の成績、実力が求められる。
ちょっと明治維新に似てると思う。
志士たちは、開国して、一気に多くを学んだ。
子供の頃から学んでいたわけではないのに、必要性を感じ、英語、ドイツ語、フランス語を次々学び
流暢に操った。
だから語学は子供頃からやらないとダメだというのは違うと思う。
逆に子供の頃からずっと知識を押し付けられていると、心身が疲弊するのかもしれない。
少年の部屋に、キルコーゲル、ダンテ、三島由紀夫などの書物が積まれている所から始まる。
うわー、三島が同列だーーー!!!
脚本家が三島を読んでいなければありえない演出!!!と、もうその辺で充分熱い(笑)
これはバスケ好きの黒人少年のサクセスストーリー。
教師は生徒に1冊の本を渡し、宿題を出す。
「この作家はこの1冊しか本を書かなかった。その理由を考えてきなさい。」と。
教師だって、答えは知らない。
答えを出すのが大事なのでなく、教育の目的は自ら考えさせること。
ブロンクスの学校では黒人の友人に囲まれていたのが、
優待生として転校した学校は、白人ばかりなのも、これがアメリカかと。
アメリカの教育事情を考えながらみると、いろいろ納得したり。
ショーン・コネリーの表情は、もうこれだけで芸術だ〜〜〜。
この映画、かなりいい。セリフも1つ1つ良くて、何度でもみたい。
アメリカは人種と年齢を超えた友情ドラマが好きだね。
それと。。。
やはり感じるのは、アメリカはベトナム戦争で大きな傷跡を残した。
多くの人が病みを抱え、
自由と独立の精神で強かったアメリカが国ごと病んでしまった出来事だったんだろうな。