人間というもの



人間というもの

人間というもの

司馬遼太郎の多くの作品の中からの1フレーズ集。

司馬遼太郎の作品が、多くの日本人から愛されているのがわかる。

私は司馬遼太郎の何を読んだかな。

30年前にひととおり読んだ気もするし、読んでない気もするし(笑)

この本のあとがきで谷沢永一がこのように書いている


竜馬がゆく』の中で

「竜馬は、議論はしない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、

と、自分にいいきかせている。

もし議論に勝ったとせよ。

相手の名誉をうばうだけのことである。

通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、

持つのは、負けた恨みだけである。」

竜馬がこの通りに考えたかどうか証拠はないであろうが、

司馬さんが透視した竜馬の明晰な人間智は、動かしがたい心得として簡潔に伝えられている。

司馬遼太郎の人間を見る目が好きです。

日本人の考えかた、生きかたに惚れ惚れします。


「女がその美貌をまもるように、男はその精神の格調をまもらねばならない。」

と、奥州に居たころ、例の弧雲居士がおしえてくれたことがある。

剣を学ぶのもその格調を高めるためであり書を読むのもその格調を高めるためでもある。

と、弧雲居士がいった。

「男はそれのみが大事だ」

と弧雲はいった。(北斗の人)


志は塩のように溶けやすい。

男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、

それをまもりぬく工夫は格別のものではなく、日常茶飯の自己規律にある、という。

箸のあげおろしにも、自分の仕方がなければならぬ。

物の言いかた、人とのつきあいかた、息のすい方、息の吐き方、酒ののみ方、あそび方、

ふざけ方、すべてがその志をまもるがための工夫によってつらぬかれておらねばならぬ、

というのが、継之助の考えかたであった。(峠)


「仕事というものは、全部やってはいけない。八分まででいい。

八分までが困難の道である。あとの二分はだれでも出来る。

そのニ分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。

それでなければ大事業というものはできない。(竜馬がゆく


人は、いつも、自分をさまざまな意識でしばりあげている。

見得、てらい、羞恥(しゅうち)、道徳からの恐怖、それに、

自分を自分の好みに仕立てあげている自分なりの美意識がそれだ。

それらは容易に解けないし、むしろ、その捕縄のひと筋でも解けると、

自分のすべてが消えてしまうような恐怖心をもっている。(風の武士)


人は、その長ずるとところをもってすべての物事を解釈しきってしまってはいけない。

かならず事を誤まる。(峠)


世人は悪い事をせねば善人だと思うているが、それは間違いだ。

いくら悪人だって、悪い事をする機会が来なければ悪い事をするものではない。

僕だって、今まで悪いことをしないのは、機会がないからだ。

ずいぶん残酷な事もやるつもりだがね。(坂の上の雲


元来、子孫というものが先祖に対して責任をもつ必要はいっさいない。

私どもこの世に一人存在しているのは、三百数十年前までさかのぼれば、その間、

どれだけ血縁者を持つか、数学的に計算したこともないが、

おそらく五十万人や百万人ではきかないであろう。

それら無数の連中がやったであろう窃盗、殺人、姦淫、かどわかしから盗み食い、

浮気にいたるまでそれをすべて子孫がひっかぶって気にせねばならぬとすれば、

それは立派な狂人であろう。(余話として)


ふつう、薩摩ではひとびとを動かさねばならぬような重大事を決定する場合、

上からそれを命ずることはすくないように思える。たとえ西郷がそれを思いついても、

「どうだ、これをやろう」とは、決していわない。

西郷だけでなく、桐野や篠原といったような大幹部であえ、みずから下命者になったりする場合はすくない。

あくまでも下から盛りあがったかたちにしてゆくのである(翔ぶが如く


思想とは本来、人間が考えだした最大の虚構ー大うそーであろう。

松陰は思想家であった。かれはかれ自身の頭から、蚕が糸をはきだすように日本国家論という

奇妙な虚構をつくりだし、その虚構を論理化し、それを結晶体のようにきらきらと完成させ、

かれ自身もその「虚構」のために死に、死ぬことによって自分自身の虚構を後世にむかって実在化させた。

これほどの思想家は、日本歴史のなかで二人といない(世に棲む日々)


幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしても

その結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。

しかもこの種の人間は、個人的物欲を肯定する戦国期や、あるいは西洋にはうまれなかった。

サムライという日本語が幕末期からいまなお世界語でありつづけているというのは、

かれらが両刀を帯びてチャンバラするからでなく、類型のない美的人間ということで

世界がめずらしかったのであろう。

また明治後のカッコワルイ日本人が、ときに自分のカッコワルサに自己嫌悪をもつとき、

かつての同じ日本人がサムライというものをうみだしたことを思いなおして、

かろうじて自信を回復しようとするのもそれであろう(峠)

いかに美しく死ぬか、いかに美しく生きるか、

武士とは、男の美学の追求に思う。

私の父の叔父は、竹刀1本で田舎から東京に出てきて、

警視総監に剣道を教えるような人物までなったらしく、

父の一族の一番の誇り。

私に多少ストイックな面が残っているのは、父方の血かと思う。

どんな時も背筋を伸ばして生きていきたい。