いちばん大事なこと(養老教授の環境論)
[経済]というのは
Aさん、Bさん、Cさん、D国、E国、F国・・・の間でお金がグルグル回ってることで、
その間に
[資源]だけがどんどん無くなっていく。
それが今の現状。
このままでは、
お金が誰のところにいこうと、環境だけが破壊され、資源だけが枯れていく。
本当に一番みんなで考えなくてはいけないこと(政治)は[環境・資源]だということ。
1人ではどうにもならないし、1国だけの問題でもない。
私が『政治がわからない』という意味は、多分こういうこと。
お金が足りなくなったから止めましょうと言うと国民が見限る。
心情的には充分わかる。
でもお金で翻弄し、お金に翻弄され、それでいつかこの国が何か変わるのだろうか。
だから私はついついあきらめてる。と言ってしまう。
これが、社会主義、資本主義、民主主義の限界なのかな。
人間はロケットは作れる。
でもカやハエを作ることは出来ない。
生物全体で1つのシステム(環境)になっている。
だから、どの生物も絶滅させてはいけない。
オオカミが絶滅したことで、シカが増え、今、農作物が荒らされている。
シカを殺したらかわいそうなどと、情の話ではなく、
またそれにより、生物体系が崩れていく。
害虫も益虫も人間が勝手に決めているだけで、どれも循環に必要なもの。
いや、必要でないのもいるかもしれないけど、その答えは未来にしかわからない。
いなくなって困って初めてわかる話。
でも困ったとしても2度と作り出せないのが絶滅した生物。
人が死んで悲しいのは、2度と元に戻せないから。
それが人間以外の生物界になると、人間はわからなくなってしまう。
と、養老先生は言う。
環境問題が何故難しいかは、自分の身に置き換えればわかる。
虫歯だって、虫歯にならなければわからない。
虫歯になった部分は、オリジナルには戻せない。
だから、毎日毎日歯を磨くしかない。
今はサボっているけど、8年間ジムに通い、常に自分の身体と向き合っていた時には、
色々見えてくるものがあった。
自分の身体は、本とは違う、教えてくれる人とも違う。
自分自身で試行錯誤を重ね、作っていくしかない。
今日の筋トレがすぐ筋肉となって答えがでるわけでもなく、
やればいいってものでもなく休ませる日がなければ筋肉は作れない。
それに努力した結果、関節を痛めることもある。
失敗しなければわからないし、全体のバランスの難しさを一番に感じる。
今はジョギングだけしてるけど、
今日は身体が軽いと思って走り出したら重かったり、その逆だったり、
いろんな要因が複雑に絡み合って、意図したものが結果にならないことも多い。
身体を動かすと、身体以外のことを感じとることが出来る。
大袈裟に言えばすべて宇宙に通じるのを感じる。
筋トレの本の中に書いてあることと、私が違うのは、
私は生きていて、私の中で、毎日細胞が死んだり、生まれ変わったりしているから。
『時』というのは目に見えないけど、
早送りにしてみれば
時速300kmの新幹線の屋根の上に座っているみたいなものではないかと私は思う。
でも体感的には、新幹線の中で座席に座っていて、ゆっくり眠ることも出来る。
新幹線の屋根の上に安定は無い。
安定のなどあるわけもない日々に、安定を求めているのが人間で、
そして自然だって、同じく時速300kmの中にいる。
放っておけば変わらないのでなく、放っておけば変わるもの。
だからどうなのだ・・・というとよくわからないけど、
毎日歯を磨くという程度の意識を自然に対してもたないと、
虫歯になって、全部抜けて、入れ歯という、似て非なるものになるとうに思う。
人工芝が見た目は綺麗でも、二酸化炭素を吸わないように。
「ツバキは口の中にあると汚くないのに、どうして外に出すと汚いの」
子どもにそう訊かれて、大人は往生する。
都会人は野蛮人を軽蔑するが、偏見をもつ点では、両者五分五分であろう
江戸時代は、すべてがリサイクルされていた。
ゴミも屎(クソ)もすべてリサイクル。
江戸の町民は良いものを食べているので、屎(クソ)が良い肥料となる。
村の人はそれを貰い肥料にして野菜を作る。そして出来た野菜を肥料代として渡す。
江戸の町にゴミが無いのは、100%リサイクル都市だったから。
古事記を読んで面白いのは、『屎(クソ)』の文字が人の名前に使われていること。
決して卑しい意味でなく、生命力の一部としてみてたのだと思う。
だから、屎(クソ)からも尿からも『神』が生まれた。
そういう循環が、現在は壊れてしまい、経済も壊れてしまった。
すべては意識の変換に思う。
意識の変換が出来れば、世の中は簡単に変わるし、
出来なければ衰退していく。
今は、人が衰退を選んでいるだけのこと。
人が選んだ通りになっているのだと思う。