白洲次郎・正子 珠玉の言葉


『沈黙』を読もうとしてたのだけど、キリシタン弾圧の話かと思うと、

苦しみを伴いながらの読書になかなか気力が出ない。

それで心安らげる本を開いてみました。


白洲次郎・正子 珠玉の言葉

白洲次郎・正子 珠玉の言葉

白洲次郎かっこいい。

日本の明治の男というのは、世界の歴史の中でも飛びぬけて優秀に思う。

江戸時代に培われた儒学の精神がまず土台にあって、

明治になり、オランダ語、ドイツ語、英語、フランス語、必要と思われる語学を次々取得し、

思想、文化を旺盛に吸収した。努力の量が違う。

人間が磐石。だから明治の男はプライドも高いのだと思う。


やきものはやっぱり茶碗が基礎になってるわね。

結局じかに口に当たるから。

持つ手ざわりとか、口に当たるとかが、

すべての日本のもののもとになってる

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おしゃれに見えることは、

まだおしゃれが不充分であるからで、

一歩先へ出るよりも、

一歩退いていることの方が、本物のおしゃれだと思う


我が国の占領が米国による占領であったことは

最悪中の最善であったとはっきり言える


百姓をやってると、

人間というものが、いかにチッチャな、

グウタラなもんかということがよくわかる


日本なんて、もっとうんとひでェ目にあって、

一度ぶッつぶれないとダメだな


憲法プリンシパルは立派なものである。

主権のない天皇は象徴とかいう形で残って、

法律的には何と言うのか知らないが

政治の機構としては何か中心がアイマイな、

前代未聞の憲法が出来上がったが、

これも憲法などにはズブの素人の

米国の法律家が集まってデッチ上げたものだから無理もない。

しかし、そのプリンシプルは実に立派である


現在は「国際的」という言葉が流行語のようになっているが、

明治の人々はそんな言葉は知らなくても、

それぞれが「国際人」たるべく

非常な努力をしていたに違いない


人間の目ほど都合のいいものはない。

見たいものしか見ないし、要らないものは捨てる


若い頃は「こんな女性になりたい」という理想が自分にもあった。

だけど、今はそんなことどうでもよくなっているし、

人様がどう見ていようと構わない


井戸の中の蛙(かわず)は大海を知らないという諺(ことわざ)があったようだが、

大事なことは、この蛙が大海を知る可能性がないにしても、

井戸の中にいる自分を、

井戸の外から眺められることさえ出来れば、

用はいくらか足りるような気もする


日本の学問のやり方はいけないねえ、

商売人になるというと、まず経済学。

そのくせ、本当の経済は知っていないよ


金はもうけるより、使う方がむつかしい


人に好かれようと思って仕事をするな。

むしろ半分の人間に積極的に嫌われるように努力しないと、

ちゃんとした仕事はできねえぞ


子供は美しいものを一生覚えているものなのだ


いつでも何につけ、

長所はそのまま短所である場合が多いのです


筋肉労働は好きだな。知的労働はしないよ


だいたい結論なんてものは書いてみなくてはわからない筈(はず)で、

わかっているものは書く必要がない、

ということを私は小林(秀雄)さんに教えられた


八月十五日以来、日本人に面子(メンツ)なんてあるかっていうんだ


生と死の間をたゆっているような、

そういう寂しいような、たのしいような時間を、

私はこよなく愛する


死はいつも私の隣にいる。いや、私の中に在る


どうも日本人ていうのは、

これは日本の教育の欠陥なんだけど、

物事を考える時に、

物事の原則っていうことをちっとも考えないんだ

物事の原則・・・・・

たとえば、仕事とは『仕える事』と漢字が原則を示している。

稼ぐことでも、楽しいことでもない。

自分が何に、仕えているかを間違ってはいけない。

中国人には中国人の原則がある。

自分の原則と思っているその1つを貫く。

それは状況は関係なく、貫くことに意味がある。

100回でも1000回でも3000年でも5000年でも同じことを言い続けることは苦ではない。

ズルをされたら、ズルをやり返すことが正しい。これが中国人の原則。

途中であきらめたら、それほど大切ではないのだな・・・という見方をする。

略奪愛と考えたらわかりやすいかな。

理屈でなく、思いの強い者が勝者となる。