論語に学ぶ
井沢元彦の『仏教・神道・儒教集中講座』の儒教の部分で気になる箇所があった。
儒教では、ものの例えとして、
救命ボートに1人しか乗れないとなったら、誰を乗せるかという話で、
儒教の教えでは、おじいちゃんが正解らしい。
儒教の第一義は『孝』なので子より親をまず大切にしなければならないと。
ふぅむ・・・
孔子は本当にそんなこと言ったかな。
論語を少し調べた。
孝という字は、単に親を大事にして、親に尽くすという意味だけではなくて、
親子・老少、先輩・後輩の連続・統一を表す文字である
先祖、親を尊ぶのは間違いないが
孝という意味は、子孫を断絶させてはいけない。
子孫の断絶は国の滅亡になる。
子がいなくなったら、大切なご先祖様の霊を弔うものもいなくなってしまうので、
それこそ元も子も無い。
親を助けるのか、子を助けるのか、私がそういう下世話なことに捉われている自体、
どうかしてますね。
ただ、中国の過去のへの遺恨の深さは、
子を思う気持ちと同等の深さで先祖を思う気持ちがあるのかもしれないと、
日本は姥捨て山があったくらいなので、中国人の気持ちがわかってなかったかなと、
そんなことを思ったり。
ついでに読んでいくと、
economy(経済)という言葉は
儒教の『経世経民』とう言葉から作られた。
『世を經(おさ)め、民を濟(すく)う』意とあった。
日本における経済の理念は、そこにあった。
『経済』という言葉の中にあった理念は『¥』というわかりやすいものにとって代わられた。
『孝』が連続・統一を表すことを考えれば、
親から子へ『経世経民』の理念が伝わらなかったこと(孝の途絶え)が
現在の経済のなれの果て、国の衰退なのかと、思う。
『言葉の乱れが国の乱れ』というのは、言葉遣いという表面上の問題より、
『言葉の本質を蔑ろにすることで、国は退廃する』との意味であったかと、
破綻して初めて、物の本質が見えてくるのかもしれない。
多くの言葉が儒教の教えから作られているのに、論語教育が消えた為、
『孝』で、言葉は伝えられたが、中身は伝えることが出来なかった。
今さら論語教育をした方がいいとは思わない。
経済とは、お金を儲けることではあるが、
それは、人を守り、国を保つためのものであって、
自分らを守ってもらうために税金を納め、国は民を守る。
それが『経済』のニ文字にこめられてることを、教え伝えていくことは出来るんじゃないかな。
economyを経済と名付けたことに感動してしまう。字は命なり。
今の見識者だったら、economyをなんと訳したかな。
孔子は言っている。
民が難しい理論を身につけるのは難しい。
上に立つものがしっかり頑張って、民は上を信じてついていけばいいだけの世の中がよいと。
この国の政治や経済を立て直すのは、やはり教育に思う。
政治も経済も実体の無いもの。立て直すのは政治や経済でなく、人間。
子に正しい教育を伝えていけば(先の話ではあるけど)国は必ず変わる。
教育を誤れば、道を失う。
自由主義によって、首輪を外され野に放たれた犬は、嬉しさのあまりはしゃぎ過ぎて、今野原で迷子になっている。
落ち着いてゆっくり考えれば、きっと道は見つかる。
まずは、帰り道を探し家に一旦帰り、それからまたこれから進むべき道をゆっくり考えればいい。
チルドレンと呼ばれる政治家が出てくるのは良いとして、
チルドレンの教育係りが誰か、何を教えるのか、が重要に思う。
儒教の『孝』の深さを思う。
ところで、主人が
「韓国は儒教の国というのが感じられるけど、中国は儒教じゃないんじゃない?」
「えっ。中国の宗教はなんなの?」
「中国の宗教?・・・・・中国共産党?(笑)」
笑い事でなく、中国共産党は、あらゆるものを封じ込めているのかな。
今は中国共産党が出産を規制しているけど、もし民主化したら世界の半分は中国人なるのではないかと。
本にあった。
ひょえーーーーーーーー