仏教・神道・儒教集中講座


出生前診断での堕胎の議論をするのは大切ですが、

病気の赤ちゃんの堕胎が問題視されて、

健康な赤ちゃんの堕胎は一切スルーであることに、

なんの違和感もないのが日本の国。

これは原発の問題と私はまったく同じだと思う。

根っこの部分の倫理観に目をくれず、起った事柄だけを見て考えている。

そして答えは出さず、次に進む。

日本人が何故そうなのかをまず考えなければ、この先何が起きても一緒。

何故そうなのかは、他国の宗教、日本の宗教を知るとその理由が見えてくる。

日本人は、自分の核がわかってない。


この前、本の中で『支出の倫理』という言葉が出てきた。

初めて聞く言葉だ。

日本人は、取得の倫理に関しては高い意識を持っている。

中国では、盗んでも返せば、被害が無い=盗ったことにならない、その程度の意識レベル。

日本ではそんな考えありえない。

でも支出に関しては「俺の金を俺がどう使おうと勝手だ」となる。

これは見る人が見ればおかしな原理らしい。

非倫理的支出が相手には非倫理的取得となることになんの責任も感じてない。

スウェーデンだかデンマークだかは、医療費は国の負担で無料です。

でも、医者は症状が軽ければ薬は出さない。

熱なら3日ほど寝て様子みてくださいとなる。

なんでもかんでも薬を出していたら、人間も甘えるだろうし、福祉が破綻するだろうし、

そうなると、結局は国民が困ることになるのを知っているからだ。

これが支出の倫理なのではないかと思う。

日本人には、まず個人に支出の倫理というものが欠けているのではないかな。

私は父親にお金の面で甘やかされた。だからお金のだらしない人間になった。

私の責任であると同時に親の責任もある。

国がお金をばらまけば経済は一旦は潤うが、人間を堕落させる恐ろしさを持っている。

それが非倫理的支出で、

政府のお金のだらしなさは、まず個人の支出の倫理の無さが一端にあって、

こういう倫理観は簡単に治せそうで、実は簡単でない。

難しいか、簡単かは、結局結果から見るしかなく、

簡単そうに見えても出来ないことは、難しいと認識し、

そこを考えていく必要があります。

支出は、人間性の表れである。

日本人に足りないものは、まず日本人がどんな性質を持っているかを知ることにあると思う。


日本人のことは日本人だけ見てても、なかなか気付きにくく、

白人を初めてみたら、実は自分が黒いことに気付くだろうし、

黒人を初めてみたら、実は自分が白いことに気付くだろうし、

両方みたら、実は自分が黄色人種だということが初めてわかる。

でも黄色人種だけしか見たこと無ければ、黄色人種であっても黄色人種であることさえわからない。

日本人は、そんな状態な気がします。

自分の見えるものだけで、物事考え行き詰まってる。

この本は、日本人が1度は考えなければならなことが凝縮されてます。


仏教・神道・儒教集中講座 (徳間文庫)

仏教・神道・儒教集中講座 (徳間文庫)

1冊552円+消費税。

書いてあることを全部を鵜呑みにするのでなく、

ものの考え方として参考になるものがあると思います。

1日あれば読める量です。

552円+消費税の価値を感じてください。

この書で物足りなければ、山本七平の『日本人とはなにか』『空気の研究』

など、いかがでしょうか。


私はこの書の中に遠藤周作の『沈黙』の話があったので、続けて読もうと思います(積読状態でした)