終戦記念日におもう

3.11といえば、日本人ならすぐわかる。

あれほど衝撃を受けた日はない。

でも、3.10といっても

わかる人は少ないかと思う。

昭和20年3月10日、東京大空襲。死亡、行方不明合わせて10万人以上。

東北大震災の2万人と比べててはいけないとしても、

その悲惨さを伝えるには漠然と10万という数字を出すよりは、はるかに実感としてわかると思う。

風向きまで計算して、逃げ場も何もないように空から爆撃する。

焼きただれた人々も家屋も、残された孤児も、当たり前のように、なにひとつ救済、補償もない。

その状況を実体験としてもっている人たちは、

今も、じっとその時を思い、ただ静かな悲しみと怒りを抱いているほか、

もう仕様がない・・・・・

といった悟りともあきらめともいえる感情ではないでしょうか。

ここにどんな救いがあるのでしょうか。

どれほど悲惨な出来事も月日と共に風化していく。

これもまた必然。

私は戦争を知らない世代ではあるが、戦争を体験してしまった人々と同時代に生きている。

その人たちの悲しみや怒りを過去のこと・・・と、するわけにはいかない。

どこにも、どうにも、訴えることの出来ないやり場の無い悲しみ、怒りを、

自分の中で折り合いつけていくしかない非情さ。

私はその悲しみに少しでも自分の気持ちを添わすこと、それしか出来ない。

もし、戦後生まれの新人類が、戦争体験者の気持ちを推し量ることが出来ないとしたら、

それはまた新たな悲しみに思うのです。

もうこれ以上の悲しみを背負わすわけにはいかない。

なんで・・・

どうして・・・

解決の糸口の無い悲しみと怒りを抱えたまま戦争体験世代者は、じっと耐え忍び生きている。

極端にいえば、今も病みを抱えたまま生きている。

せめて心を添わせ、一緒にいたみをわけあえなければ、

この同じ時代の同じ社会に住む運命共同体になりえないのではないかと思います。

8月は書店に戦争関連の本が多く並びます。

1年に1度だけでも、その思いを汲み取ってその声を聴かなけらば、同じ国で一緒に暮らしてるとは

いえないような気がします。