人類のシナリオ

もういちど読む山川倫理/著者不明
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西洋の一神教キリスト教イスラム教など)では、

「世界は創造主(神)が作った」とされている。

それに比べ、古代の日本では

「世界は、自然に内在する勢いによって、おのずから成立した」と考えられていた。

勢いって・・・なんだそれ・・・(笑)

でも、

よくよく考えたら

まさしくそれが『ビッグバン』ではないか!!!

ある日突然はじけるように宇宙は出来たというのが今の科学なら

古代日本の考えは合っている。

すごいなー、日本人の感性。

一神教は、何かといえば、神だ。

わからないことは、みーんな神!だからズルイって思う時ある。

日本には、そんなオールマイティーなカードは存在しない。

日本にも八百万の神はいるけど、それは唯一絶対のGODではなく霊的なもので自然崇拝に近い。

GODを持たないことで、日本人は問題も責任もすべて自らが負う。

DODという逃げ道を作らないことが人間形成の上で、実は大いなる加点になってきたのではないのかな。

その八百万の神は今、いずこへ・・・

邂逅の森のマタギに宿るあの純粋な心。

「初マタギ、お手柄でありすた」親方が何も役に立たなかった新米を労うこの言葉の神聖さ。

このえもいわれぬ言葉の美しさは、その厳粛な情景が心の奥まで沁み込んでくる。

親方も新米も、分け前は一緒という精神。

子供たちはマタギになることに憧れる・・・

日本の神は、人の心に宿るように思うのだが、どこいった・・・

手塚治虫火の鳥太陽編では、

日本の八百万の神が、中国から伝来した仏教の仏に追い詰められていく悲しい姿が

描き出されている。

仏教は政治利用され、世に広められていった。

どの宗教も正しい。

ただ政治と結びつく。

だから、解決がつかないのだと、手塚治虫は説いている。

明治政府は天皇を神とし、八百万の神も仏も排除してしまった。

そして大きな戦争が終わり、

天皇は人となり(アタリマエダ・・・誰がミタッテ人間ダ・・・)

日本は国家としての力を失い、

アメリカによって作られた日本国憲法の元、神も仏もあやふやなまま現在に到る・・・

宗教とは、精神であり、道徳だと思う。

今は、長いあいだ培われてきた神道、仏教、儒教の心をすべて忘れたわけでもなく、

さりとて、しっかり根付いているわけでもなく、

でも今さら「これでいきましょう!」というよるべもなく、ただ宙を彷徨っているように思われます。

絶対唯一のGODをもたない寛容な心の末路は、空ろなまま、どこへ漂っていくのでしょうね。

神も仏も悪くない。利用した人間が間違っていたとはいえ、

神が、仏が、これだけ政治に利用され、国民が命を奪われた過去をもつと、

日本は無宗教です。となるのも致し方ない面があると思う。

誰かが、何かが、悪いのだとは思うけど、

今になってみれば、すべては時の流れには逆らえなかったとしか。

人類が滅びるまで、

専門家のあいだでは、あと100年とも言われている。

あちこちの国で無造作に核を保持し環境破壊を続ければ、それほど大袈裟な話しではないと思う。

100年はどうかと思うけど、もう100年でも300年でも、

滅びる直前までこのまま危機感無くいくように思う。

ある程度文明が進むと、その自らの手で滅ぶ。

これが逃れようもない人間の宿命なのかもしれない。

文明が進めば進むほど、人類の滅びる日が近づく、

そんなシナリオは最初から出来上がっていたのでしょうね。

この危機感の無さは、

100年後より、今日の我が身を維持することに手一杯で、これまた仕方がないとしか。

自然を破壊することで、受けた恩恵で、今こうして元気に過ごせている事実もある。

そんな現実を見、感謝し、そして憂いている・・・

それ以外何も出来ない。

何を言っても世の中は流れる方にしか流れない。それを受け入れるだけです。