男女の怪

池田利代子さんのエッセイは、私の心の肥やしで、

彼女の描くマンガのように瞳を輝かせながら読んでいるのだけど、

その中で唯一『恋愛論』だけは、つまらん!

いや、

つまるも、つまらないも、恋愛のページだけはすっとばして読んでいるのだから、

完全なる私の恋愛アレルギーなのだけど。

『おとなの恋は、自分を通すこと』なんて、タイトルを見ただけでゾっとする。

恋愛なんて老若男女なるようにしかならん!

それより男女のことなら

養老先生の生物学的思考の方がめちゃめちゃ面白い。

男女(オスメス)の怪/養老 孟司
¥1,470
Amazon.co.jp


この本は飽きないなー。

ちょっと調べたいことあって開いたら、また全部読んでしまった。

「何故カブトムシのオスには角があるのか」

というのを最初に問題にしたのはダーウィンで、

「メスの好みだから」と言ったらしい。

えーーーーーーーーっ目

学者というのは、そんなこと真面目に研究しているんだ!

「こんなデカイものつけても僕は平気ですよ」というデモンストレーションらしい。

人間だと見栄とか言われちゃうけど、見栄も遺伝子を残す為の切ない愛おしさだな〜って、思えちゃう。

カブトムシも人間も切なく愛おしい。

この前、読んだものの中に『利己的な遺伝子』っていうのがあって、

生物は、遺伝子が洋服を着て歩いているらしい。

そう、人間も遺伝子に支配されてるってこと。

子孫を残す為に親は死んでいくようになってるらしい。

親がいつまでも生きていたら、自然界の食べ物(資源)がなくなっちゃうでしょ。

あ〜〜〜だから、歳をとると段々食事の量も減っていくのか!

生物が段々免疫が下がっていき、死に向かうのも、淘汰が必要ってことなんだろうね。

個体は、その為の道具。

遺伝子が意志を持って自分の細胞を操っているって感じで

それって自分の中にエイリアンが住んでるような衝撃を受けてしまった!

男女のことは、いや人生は、虫を見てると納得せざるおえないんだよね。

説得力がある。

アリはさ、

隣の巣が崩れ落ちても、

気にも留めず今日も我道を生きていく。

結局そういうことなのかなと・・・・・・

脳は最後に出来た付録みたいなもんなんだって。

やたら大きくなっちゃったけどね(笑)

身体が先で、オマケで脳が出来た。

でね、

実はすべて頭で考えるより先に、身体は反応しているんだって。

意志があっての行動かと思ってたけど、

涎を垂らしてから、お腹すいたって思うみたいなもんかな。

だから、

あんまり考えても、どうにもならないこともあるんだと思う。

まぁ・・・何も考えないのはただのバカってことになるんだろうけど。

私、自分の主体性はなんだろうって

http://ameblo.jp/fujiko-diary/theme10-10054998010.html#main

考えたことあるけど、

主体性って、

字を見たら、すでに、カラダが主(おも)って出てたじゃん。

頭でいくら考えても、カラダが先行してるんだね。

主観って言葉もあるけど・・・

主体の方が、足元からドッシリ感ある。

もう

何を言ってるんだか、まとまりつかなくなったけど。

悩んだ時は、

虫で考えると、頭の中に一陣の風が吹いてスッキリする。

躓いた時は足元ばかり見てないで、360度見渡すと、そういう時ににしか見えないものが見えてくる。

これが、

恋愛で躓いた私の気付き。

恋愛で苦しんでいる時は、恋愛を考えるよりは虫を考える。

何もかもが愛おしく感じる・・・