四十五十。
去年くらいからジムに筋トレのプロみたいな人が来て、
男の人たちは、その人の指導の元ウエイトトレーニングをやっている。
みんなのやる気が変わってきたのがわかる。
大会を目指すようにもなってきた。
その人が昨日、
「藤子さんはいつも一生懸命やられてますよね。
藤子さんが他の女性の方も引っ張っていってくれると、女性陣も活気が出ると思うんですけどね。」
と、声をかけてくれた。
今まで接点も無く、言葉を交わしたことも無かったのですが、
こんな私のトレーニングでも見ててくれる人がいた。
正直たいしたこと出来てなくて、ただ自分なりにコツコツとやっている。
昨日の『一日一言』に
40、50になって自らの環境の中で名前が聞こえてこないようでは値打ちが無い。
いるか、いないのかわからないようではどうしようもない。
世間はともかく、
大小を問わず仲間環境の中には聞こえてくるようでなければその人物はとるに足らん。
みたいなことが書いてあり、
私は何もない・・・・・
と感じてたとこなので、思わぬところでの言葉に嬉しさ5割り増し
不思議だなって思う。
そういうタイミング。導きかな。
力強く背中を押してもらった気がする。
一つの言葉で考えさせられ、一つの言葉で救われた
どんな小さな世界でも、そこの場で精進する。
一番小さな所では家で、家族、親戚、地域、職場、日本、世界。
野望はいらない。
大きな望みはなくても、コツコツやっていれば自然と形になってくるし、
積み重ねてもそれが形になってこないようでは、何をやってるんだか・・・
ということに思う。
私の場合、それは一銭にもなってない。
でも自分の身(実)にはなっている。それはお金では買えないもの。
まぁ、私は私なりで良いのだと思う
以前に、
全日本4位という人がいて、その人がちょこちょこっと私のとこに来て
「藤子さんは良くやってるよね。エライと思うよ。」
って。
「たいしたこと出来てないんです・・・・」と言ったら
「でも、おしゃべりもせず自分のペースで黙々とやってるでしょ。それが大切。他の人は口動かしすぎ。」
って。
誰でも能力ってある。
上手に出来る人もいるし、出来ない人もいる。
私は出来ない。
でも取り組む姿勢に能力は関係ない。
そんな能力以外のとこも、人は見ている。
そしてそこだけは誰からも否定されない。
私はこれからも変わらず私の小さな世界でがんばる