緩急。

パンを作る時、

生地を丸めたのち、ベンチタイムというのを必ずとります。

それは、

縮んだ生地を、ゆっくり休ませるためです。

ここ最近の私も

多少、キツキツに考えていたようです。

自分に誠実に、正しくあれ・・・と。

自分的にはそれも悪くもないのですが、これでは周りの者が迷惑しますうさ。

自分が正しいと思うことが、他人にとっては窮屈であることが多々あるように思います。

「いい人」をやめると楽になる―敬友録 (祥伝社黄金文庫)/曽野 綾子
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私の好きな作家は、

三浦綾子曽野綾子 この両巨頭です。

お二方ともクリスチャン作家。

が、同じ信者の立場でも、まったく違うものを与えてくれます。

三浦綾子を読むと、愚痴ばっか言ってちゃダメだうさ。 と、身を正したくなるのですが、

曽野綾子は、

『愚痴だって言い方が下手だとうんざりするけど、整理がいいと芸術にだってなりうる。』と。

『努力家という人は、ほんとうは困った存在だと思う。怠け者を自覚している人は、自分にも

他人にも会社にも負い目があるから、けっしていばらない。

その結果、自分の本質と評判がかなり一致する。

しかし努力家は、自分は正当なこと、立派なことをしていると思い込んでいるから、

他人も同じようにすること、他人が自分に感謝と称賛を送ることを、必ず心の中で要求している。』

と、まぁこんな切り口でございまして。

私にとっては、どちらもが大切な導きで、若い頃からずいぶん助けられてます。

曽野綾子の、これも笑ったんだけど

『他人の暮らしはすべてすてきに思える。しかし皆ほんとうの生活を覗けば、円満でも大して幸せでもない。』

そんなものかもしれません。

なんか安心します。 クスクス

この本は、あるがままに生きなさいと。

人には、いくらか悪いとこがあっていい。

ある程度、お互い迷惑かけながらでいいんじゃない? みたいな感じでしょうか。

ただ、この言葉の大切なところは、

こちらも多少の迷惑はかけられても許しなさい・・・ということのように思います。