利賀村

利賀村にお蕎麦を食べに行きます。
利賀村へ行くのは冒険です。
Wikipediaによると
富山県の南西部に位置し、岐阜県に接する。標高1,000mを越える山々に囲まれた村域は南北に細長く、庄川の支流である利賀川、神通川の支流である百瀬川が縦断する村。非常に急峻な峡谷地形であり、河川の間は険しい山塊に遮られる。同じ村内でも別流域間のアクセスは困難であり、新楢尾トンネルにより村としての一体性が保たれている。村外へのアクセスも峡谷を抜けるために困難で、県内で唯一アクセスが困難な自治体である
私の運転で果たして辿り着くのだろうか。
156号線を南下して471号線に入ります。
右側の道が471号線。
 

 
普通の道だ!大丈夫そう♪
でも、なんか、道が狭くなってきましたよ。
案内図を見ると、道は合っているようです。
 
赤い道(471号線)を南下してゆきます。
右手に落石注意の看板。
 
左手は・・・
すでにがけが崩れてる!
 
先週、白山スーパー林道開通のニュースで見て主人に「行きたい」と言ったら、
白山スーパー林道は崖っぷちで怖いよ。」と。
そーなのかなーと、思っていたのですけど、この471号線走ってみてわかりました。
怖いです。超怖いんですけどー(涙)
もちろん崖は怖いけど、崖は落ちなければいいとして、
道幅が狭く急カーブの連続。
ストレートな所が無い(涙)
狭い上に、急に対向車来る。
カーブにミラーが無かったら死ぬ!
鏡の発明がどれほど人類の助けになったか、私は今日初めて知った・・・
地元の人は、制限速度30?のこの道路もブンブン行く。
や〜〜〜〜っと利賀道の駅に到着。
こんなにちっちゃい道の駅は初めて(笑)
道の駅からの見晴らし。
 
多分右側の山の中腹当たりに見える道路っぽいものを私は走ってきたのだと思う。
こんな所まで来ちゃってどうしよう・・・な気分。
黄山で仙人になりたい発言撤回します。
山の中の心細さは、下界ではわからない。
 
左側に見えるのを、私はトンネルだとずっと思っていたけど、トンネルでなく、スノーシェッドというらしい。
雪崩を避けるためのもので、崖側は柱になっていて、トンネルのような閉塞感は無い。
この道も、五箇山への道も、行程の半分ほどはスノーシェッドで覆われている。


今日は気温24℃。気持ちがいい。
ここで、少しオジサンとお話しました。
今年は雪が多く、道路の傷みが激しいので、あちこち通行止めになっているとのこと。
1日数台しか走らない道を補修しても・・・ということらしい。
それでも、工事の大きな車を所どころで見かけました。
「この先、32号線に入ると、そばの郷があって、その先に平へ抜ける道があるから、
そこに向かって行くといいよ」と道を教えていただきました。
「この前も正面衝突あったから気をつけてね。富山は運転のマナー悪いから。」と。
やはりとても事故が多いそうです。気を付けねば!
道の駅から先は、今までより道幅も広くなって、走りやすくなった気がします。
そばの郷まで10?の山道がんばります。
途中『瞑想の郷』に寄った。
 
ネパールツクチェ村との文化交流として建てられたそうです。
 
うわ〜〜〜〜〜〜
これがヘレニズム文化だ!本物だ!
こんな山深い場所で、こんな仏像?石像?に出会えるとは・・・
確かに顔はギリシャ人。いったいいつ頃のものなんだろう・・・
後ろの丈の長い草はガマだと思う。
天空の村だね、ここは別世界。
 
建物に入ると、まずガネーシャがいた〜〜〜!
ガネーシャの寝転んでいる像があった〜〜〜!
ガネーシャといえば、夢をかなえるゾウ。
しあわせだね〜こんな所でガネーシャに会えた!!!
室内は撮影禁止なので撮れなかったけど、
2階には四面に手描きの大きな大きな大きな大きな曼荼羅が飾ってある。
曼荼羅とは、お経を絵で表現した・・・的なもの。
司馬遼太郎空海密教は、言葉で表すことが出来ない、芸術のようにしか表せないもの。
みたいに言ってたけど、曼荼羅もそういうものなのかしらん。
日本は浄土教が好きで、日本の仏教のほとんどは浄土教系統で、
でも空海密教だけは違う。感覚的なもの。
曼荼羅を眺めていると、図形や色彩には数学的な要素があって、
平面だけど奥行きというか・・・柔らかさと恐ろしさの合わせ技で圧倒されます。
不思議な世界観です。
仏様や蓮の花が緻密に描かれていて仏教なんだろうけど、
きらびやかで、竜宮城の発想はこれではないかと(笑)
乙姫様、タイやヒラメで阿弥陀三尊。
正直、ひとりで眺めているのは怖かったです。
外に出ると花壇もシンメトリー。
曼荼羅花壇なのかな。
 
池を覗くと、
ポって開花の音が聞こえてきそうに、ハスの花が咲いていました。
私、極楽浄土に来ちゃったかしらん。
 
オタマジャクシがいっぱいいたよん。
この辺りは雪がメートルで降るそうで、今年はGWまで雪があったそうです。

そばの郷でお昼。
 

 
利賀そば。五箇山豆腐もついてた。
  
そば資料館は時間が無いのでパス。
帰り道がどうにもわからなくて、お店の人に教えてもらったところ、平への道は林道だそうで。
この先を山に向かって右に曲がればよいとのこと。
(不安・・・)
でも心配には及ばなかった(笑)
今まで走ってきた道よりは広い道で、途中山の神トンネルという素晴らしいネーミングの
トンネルを抜ければ、平(156号線)で、おうちに帰れる♪
ず〜〜〜っと、ずっと、スーパーもコンビニも無かった。
あるのは険しい山道と、所どころに集落。集落までいかないか。
何軒かある程度。
こういう山奥は他でもあると思うけど、プラス2m、3mの雪・・・となると、
そうはないんじゃないのかな。
仙人にはなれないけど、ここで暮らすことは私出来そうな気がする。
気だけかな(笑)

国道471号線YouTube酷道471でけっこうアップされてますね。
『素人さんお断り』の札が必要な道路だ(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=0f0nw137VM8
冬に走っている人もいる・・・
https://www.youtube.com/watch?v=SjljT_eCZds

李氏朝鮮王朝

歴史物語 朝鮮半島 (朝日選書)/姜 在彦
¥1,404
Amazon.co.jp 李氏朝鮮王朝の後半。 秀吉の朝鮮出兵(倭乱)が終息し国内の立て直しをはかる間もなく、今度は明から清への動乱に巻き込まれる(胡乱) 南からの侵略が終われば、次は北。気の毒としか言いようがない。 戦争前に170万給(キョル)以上あった農地は、54万給(キョル)まで減ってしまった。 日本は過去に、外国から全土を蹂躙されたことが無い。 地上戦があった沖縄と、本土の戦争の感覚とはまったく違う。 米兵が沖縄に上陸、南へ北へ侵攻してゆく。 逃げ惑う住民。 沖縄全土侵略され、焦土となり、逃げる所もなくなり、集団自決をする。 追いつめられる日々、どれほど怖かったか。 朝鮮半島は、そんな思いを何度もしている。 敵国が村を焼き払いながら侵攻してくる。 朝鮮の産業の基本は勧農。 『農者天下之大本』 国を支えているのは農民であり、農業の疲弊は国家の衰退に直結する。 しかし、倭乱、胡乱により耕地は荒廃。 本当にひどいね・・・ それでも、その後日本とも清とも外交は正常化するのですが。 李氏朝鮮には『崇明排清』(清は卑しむべき夷狄であり、滅びた明を慕う)が依然としてあり、 清と外交や文化の面で障害となった。 その時代の清は西洋から天文科学など取り入れていたのに、李氏朝鮮実学を学ぼうとはしなかった。 勿論それに反対する人たちも出てくる。 『たとえ夷狄であっても、われわれより優れたものがあれば、謙虚に学ぶべきである』 そういう思想をもった人たちも出てはきたが、 「小中華主義」の思想を変えるには至らなかった。 儒学と反する西教(カトリック教)のみならず、西学(科学)までも否定、 西洋研究の欠落が朝鮮の近代化に決定的ダメージを与えた。 19世紀に入って倭夷や洋夷の先進文明から学ぶという思想が普及していたら、 朝鮮半島の近代は変わっていただろう・・・ 西教の弾圧でフランスが攻めてきた。アメリカが攻めてきた。それでも李氏朝鮮は負けなかった。 朝鮮強いねー(笑) 朝鮮の強さが少しわかってきた。 彼らはまず、自分たちが非常に不利であることを知っている。 常に不利な戦いを強いられてきた。 だから、 国の守り方を知っている。彼らには守りしかない。 守って守って、相手が疲れるまで屈しない。 『洋夷が侵犯したのに、戦わざるはすなわち和することである。和を主張することは売国である。』 日本とは全然違う・・・ 日本はビビリまくったからね〜(笑) 一気に明治維新となり、開国して、西洋化した。 それが、 反洋夷→倭洋一体論(西洋化した日本と西洋は一体)→反日運動となる。 李氏朝鮮の後半期というのは、 日本の2度の侵攻、清の2度の侵攻と必死に戦い、そして終息。 国民が貧困にあえいでいるのに、 国内は思想の派閥争いで王朝がまともに保てず、衰退していく。 頭に載っかている儒教がいかに重いものか。 明が倒れて清となり、夷狄(野蛮人)としてきた清に臣下の礼をとらされることになった。 こんな屈辱的なことはない。 ここで中華思想に歪みが生じた。 そこで現実を受け入れることが出来れば良かったのだけど、 明が倒れたことで、朝鮮こそが中華の後継者であり、中華(世界の中心)である! と思ってしまう。 世界地図も朝鮮半島を大きく表記してしまう。 自分を過大評価することで、他から学ぶことをせずに清からも日本からも遅れてしまう・・・ それが悪いとも思わないですけど、なかなか苦労しますね。 さて、ようやく第七章朝鮮の近代に入ります。 まぁー読みづらかったこと(笑) でも、この国のことがほんの少しわかったかな〜。 学校では習ったかな? 歴史の最初の部分の高句麗新羅百済任那しか覚えてない。 そういえば、 高句麗(コグリョ)、百済(ペクチェ)、新羅(シルラ)、高麗(コリヨ)、朝鮮(チョソン) と、言うのですね。 こうくり、くだら、しらぎ、こうらい、ちょうせんと言うより、響きがいい。 今日は、朝ごはん食べながら『空から見る世界遺産』というのをみた。 たまに、こういうまったく違う景色眺めるっていいね〜 心に新たな風が吹く。 どこもすごい!全部行ってみたいけど、 特に黄山(中国) 私は黄山へ行ってみたい。 やっぱり、山が好きなんだろうな〜。黄山で仙人になりたいうにょーん 仙人は無理か。仙人の弟子になりたいうにょーん ああゆう所をみてしまうと、中国には絶対勝てないと思ってしまう・・・ 中国って広大で、多民族で、だから国を造るには相当な時間がかかる。 日本のようなわけにはいかない。 何万年もかけて、それこそ亀の歩みでゆっくり造っていくしかないのではないかなー。 今の中国の在り方が良いとはまったく思っていないけど、 あれだけの土地と人を導いていくには、やはり本当の意味で自由になるまでには、 国の管理が必要に思うし、発展を急げば弊害が出てくる。 あの国を変えるには時間がかかる。 例えば、植物を植えるには、土づくりをしっかりしないといけない。 綺麗に花を咲かせるまでには、相当に手入れが必要で、下準備を怠れば、 ひょろひょろ〜っと茎ばかり伸びたり、わずかな花しか咲かない。 その代り下準備にゆっくり時間をかけると、より良いものが出来るはず。 土地もある。人もいる。 土台に儒教という、いいんだか悪いんだかわからないものも持っている。 なんでも持っているのだから、他に迷惑かけたらダメだ。 偉大な国は、小さくて力の無い国を守っていかなければいけない。 私は、どうしても世界を主導していく国というのが必要だと思っている。 だけど、 力をもつと奢ってしまうのが人間だし、民族だし、国で。 特に今成長を続けている中国は益々増長していて、ホントこれから先を考えると 気分が鬱々としてくる。 だけど、もし、もしも、そんな中国が中華思想(自分たちが世界の中心である)を捨てられた時、 世界の中心になれると思うのだけど。 中国がそうなるにはあと何万年かかるかわからないけど・・・ そうなれば、私は中国主導で良いと思っている。 3万年くらいたてば、変わるかな。 100万年くらいかな。 その前に氷河期とかきて、世界は凍結しちゃうかな。 ともかく、チベットウイグルのことを思うと、中国政府には血も涙もないのかと。 ホントに、チベットウイグルにもう少し配慮してくれれば、 他から尊敬を得られる国になるのに、悲しい・・・

歴史物語 朝鮮半島

『武神』を見終えた。
時代は高麗(日本は鎌倉時代)、奴婢という最下層の身分の者が最高権力者へと上りつめる物語。
サクセスストーリーというには、あまりに苦しく悲しい。
1つ階段を上るごとに苦しみが増して、
それは頭上に中国、モンゴルといった大国を載く国の悲劇でもあるのだけど。

今、『歴史物語 朝鮮半島』を読んでいます。
その中で、
ドラマでは極悪非道の権力者として描かれている崔?(チェハン)が、
実際は、親の跡を継ぎ、君主を助け、国難を制しながら、大蔵経板に私財を施し
作業を監督して完成し、中外が服を受けた。とあった。
ドラマと真逆な人物像!
崔?(チェハン)が非道過ぎて、みることが出来なくなってしまっていたので、
実際にはそういう人でないことに救われる思い。
ドラマ上、主人公を良く描くために必要な演出ってことでしょうね。
作り話と思えば、少しは心穏やかでいられます。
時の権力者が2代にわたって私財を投じて大蔵経(仏教の経典の集大成)を完成させた。
何年も続く干ばつ、モンゴルとの40年戦争で民が辛苦を味わう中、
無理を押して仏教の一大事業を起こしたのは、仏教が人々の心のよりどころであったから。
仏教の力でモルゴンを討ち払いたいという強い願い。
苦しい時にこそすがるものが必要。

仏教を重んじることが、次第に行き過ぎた仏教崇拝になってゆく。
なんでもそうですけど、
国が特権を与えたり、優遇や保護を与えると、新たな問題を生む。
高麗時代の寺院は、税金の免除、僧侶の国役免除、そして寺院の利権を守るための憎兵を抱えていた。
そして、国家が仏教に肩入れし癒着が起こる。
崔承老(チェスンノ)が戒めます。
「仏教を行うのは修身の元で、儒教を行なうのは治国の源。
修身は来世のためであり、治国は今日の務めです。
今日は近く、来世は遠いのに、近きを捨てて遠きを求めるのは過ちではないか。」
来世的な仏教より、現世的な儒教を優先すべきではないかと。
高麗が滅亡し、次の李氏朝鮮王朝の国家理念が『崇儒排仏』に変ってゆくのは、
仏教の堕落と弊害という背景があった。

この本に華厳経の『三界唯心』というのがあります。
自分の心の外に三界(俗界、色界、無色界)は無い。
この世は自分の心にあるものがすべてで、
目に見えるもの、在るもしくは無いと認識しているもの、
この世のすべてのものは、自分の心を映し出したものである。
これだと唯心論・・・かな。
まぁなんでもよいのですけど、
宗教って、
どんな宗教にもいえるけど、
ご都合主義だなーと。
だから宗教なのでしょうけど。
ひとびとのすがりつきたい(救われたい)心が生み出したのが神であったり仏であったり、
キリスト教だのイスラム教だの仏教だのと、バラバラに存在するのも、
それぞれの心の目で見ているからその人により違う。
心の目が違えば、同じ風景を見ても違うものが映る。
だから、
見える人には見えるし、見えない人には見えない。いる人にはいるし、いない人にはいない。
心で見るから、
愛がある時と、愛が冷めた時では、相手をまったく別人のように感じてしまうのでしょうね。
相手は相手で、同じなのに。

李氏朝鮮王朝の時代、集賢殿というものがあった。
『前途有望な若い集賢殿学士には、実務から離れて山寺に入り、官給によって
賜暇(休暇をとらせる)読書をさせたことである。
しかもその読書の範囲は儒教一辺倒ではなく諸子百家から天文、地理、医薬、ト筮に
至るまで自由にさせた。
世宗代の文化事業が経書および史書の編纂はもちろん礼楽、音韻学、農学、医薬、
天文、地理から兵法に至るまで、経世済民のための実用の学問を総網羅できたのは、
集賢殿における多彩な人材養成に負うところが大きい。』
その一つが、ハングルの制定である。
漢文を習得できない庶民にも短期間に習いやすい28文字(制定当初)を制定し、
文章で自分の意思を表現できるようにした。
その為、特権階級は漢文、庶民はハングルというコミニュケーションの断絶が起こった。
中華思想が思わぬ弊害になったのでしょうね。
中国が偉いから漢字は偉くて、ハングルは偉くない。
漢字が書ける自分は偉く、ハングル使う庶民は偉くない。
そんなバカなと思うことが、思想上では当たり前にあったりした。
19世紀になって、ハングルを国文とした。

歴史物語 朝鮮半島 (朝日選書)/姜 在彦

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朝鮮半島の通史で(私にとって)お手頃な本って案外少ない。
韓国への『主観』の強い本は数多くあるのだけど、なるべくまっさらなものが読みたくて。
それにしても、
地名や名前の読みずらいこと。聞きなれない韓国語の発音に少しも慣れない。
誰にでもわかるようにとっても優しく書いてあると思うのです。
それでも私には難しくて理解出来るわけではないけど、
苦い薬と思って、飲み込めないものを無理矢理飲み込んでいるところです。
全く知らなかった朝鮮半島の歴史の、全体的な雰囲気だけでも味わえたらいい。
ハードル高過ぎるので、それで充分。
今の韓国については、興味はないなー。今の日本も興味ないけど(笑)
今、李氏朝鮮前期(秀吉の侵略まで)読みました。
う〜〜〜大変だけどあと半分がんばろう!

白村江の戦い

司馬遼太郎全講演 [5] (朝日文庫)/朝日新聞社
¥713
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読了。
『飛鳥の地は日本人の魂の故郷のようなところです。しかし、その飛鳥の地を作ったのは、
考えてみれば、たいてい朝鮮半島から来た人々でした。官吏が多かった。』
白村江の戦い朝鮮半島へ出兵した倭国は大敗した。
その時、百済の難民を多数受け入れた。
奈良の良い場所をどうぞ♪とあげちゃった。
奈良に場所が無くなると、近江あたりをどうぞ♪とあげちゃった。
そんな時代があったのですね〜、いい人ですね。倭人
高麗からもたくさん来て、関東あたりへ案内した。
人の交流があり、文化が混じり合い、自分たちに適した良いものを取り入れ、人も国も育っていく。
縄文時代は9000年続いた。
なんの進歩も無い9000年は、まったく他民族が入ってこなかったからでしょうか。
食べて、寝て、30歳に満たずに死ぬ。それだけを9000年間繰り返してきた。
それはそれで、いい時代なのかもしれないけど。
今西暦2015年。それを考えると、たった2015年と思えてしまう。
鎌倉時代も、奈良時代も、実は、私が思うほどは遠い昔ではないのかも。
孔子のいうことに、うんうんと頷き、改めてすごいなーと感心させられるのですから。

混じり合うというのは、受け入れることでもあって、
単一は良い所もあるけど、刺激が入らないことで凝り固まってしまう性質があると思うのです。
『恩はきせるものではない。』と司馬遼太郎は言う。
そうですね。
百済の難民たちを受け入れたことを、受け入れてあげたというのでなく、
それにより日本の律令の確立の助けとなり、勿論良い面だけではなく、
様々な問題も発生したでしょうけど、近江はきらびやかな国際色豊かな土地となり、飛鳥文化にも大きく影響を与えた。
民族が混じり合うことで、様々に問題は起きます。
それをいかに、良い方向へ持っていけるか。
その時のひと次第です。こころ次第です。
今も日本は中国や韓国、ロシアと領土問題を抱えていて、
どっちのものか敵対している状態です。
でも奪い合いでなく、双方の助けになるような、領土の使い方はあると思うのです。
民族が混じり合って生まれるもの。混じり合ってしか生まれないもの。
そんなものがきっとある。
まったく思いもよらなかった新たな面がきっと出てくる。
勿論それがさらなる問題も生むでしょうけど、それはまたその時に考えればよいこと。
現時点で、領土問題の解決を推し進めることは無理でしょう。
でも悲観することなく、今は保留のままで、いつか今よりも少しでも国家間の関係が改善されてゆけば、
いつか・・・いつか・・・それも可能になるかもしれない。
百済の難民を受け入れ、どうぞどうぞと、文化の交流を図ったように出来ないことではない。
まだたかだか2015年。西暦3000年には、5000年には、
『そんな時代もあったんだね』と笑える日がくると信じて。
白村江の敗戦で日本は初めて国境というものを意識し、防衛を考えるようになった。
いつ新羅が攻めてくるか、白村江で惨敗しているのですから怖かったでしょうね。
日本が初めて外国と戦争をして初めて負けたこの戦いは、色々なことを私たちに与えた。
教科書の中の1頁で済んでしまうような出来事ではないし、それで済ませてしまうことが現代の過ちに感じる。
この戦いで日本が何を考え、何を大切にしたか、
出来事の本質をゆっくり考えていく。それが学ぶということ。

アメリカ人の家庭の灯火を確保するために、クジラをとる。
蒸気船ですから石炭がいりますが、それほどは積めません。
日本を開港させろということになった。補給するのにもちょうどいい位置だし、
日本近海にもクジラがたくさんいる。そのためペリーが艦隊を率いてやってきて、
尊王攘夷がはじまり、やがて明治維新になる。
大変な騒ぎになるもとは、アメリカ人のともしびを得るためでした。』

おかしなものですね。
ペリーの要求は捕鯨のための開港だった。ホントかな(笑)
それが、日本がひっくり返るほどの大騒ぎとなったのですから。
外国が無理難題押し付けてきたー!このままでは属国にされてしまう!
尊王攘夷だー!戦争だー!開国なんてとんでもない!徳川幕府をぶっつぶせー!
そうして幕府潰しておいて、いざ天下をとると西欧を進んで取り入れどんどんハイカラになっていった。
先導者の西郷どんもびっくりですよね。政府に反旗を翻し散ってゆく。
勝てば官軍とはいったもので、西郷さんや会津が気の毒でならない。
敵将の慶喜が戦線離脱してしまい、官軍はふり上げた拳を会津に向けた。
会津だって好きでこんなお役目引き受けたわけではない。
引き受けた時点でこうなる運命をわかっていて、せざる負えなかった。
『維新』という言葉は会津の悲劇や河合継之助の無念を伴っている。
今は、日本は反捕鯨で糾弾されている。
時代は変ったけど、100年たっても、1000年たっても、会津の悲劇は語り継がれるものでしょうね。

初めての能登半島

そうだ!能登へ行こう!
と、思い立ち、車に乗ろうとしたらお隣の奥さんが窓から手を振っている。
「今から能登行くけど、行く?」と声をかけると
「行く〜〜〜!」って。
能登のどこへ行くかは決めていないけど、高速道路が七尾まで通ったので、
行ってみることにしました。

「で・・・、どこのICから乗るのかな・・・?」
2人ともわかっていなくて、
高速道路の緑の看板を探しながら氷見ICから乗って、ところどころ海を眺めがらながら終点七尾まで1時間。
イノシシ注意の標識はあったものの快適なドライブ。しかも無料ですと!
最終的には輪島まで開通するようなのでそうなったら最高に便利♪

車で話しながら、能登島へ行ってみることにしました。
 
こんなところに島があったのね(笑)


能登島大橋。これを渡ると能登島
 

橋を渡って、向こう岸右端が和倉温泉
 


水が透きとおっているよ〜〜〜。
 
声が出てしまうほど、初めてみる能登島は美しかったです。

お昼はなごみ茶屋さんで。 
ウッドデッキで男の方がお食事中で、「バイクで能登島って、気持ちいいでしょうね〜。」と声をかけると、
「ええ、夢だったんです。」と仰っていました。
ウッドデッキはブドウ棚になっていて涼やかなマスカット色が初夏の彩り。
 
私の車を見てママさんが「湘南から来たの〜?」と。
「いえ、富山なんですけど(笑)」
中に入ると、奥はアトリエになっていて、裏のお庭にはビワがたわわに実っている。
 
 
こんな暮らしに憧れる!!!
「こういうところに、ずっと居たーい!」というと、
「どこも同じよ。ずっと居ると飽きる・・・(笑)」と、ママさん。
そうなのかな〜
こういう生活に憧れてしまうけど・・・
 
お食事は、全部手作りだそうです。 
紫蘇ジュースも梅ジュースも美味しくて、何もかも美味しかったぁ♪
能登島は山が無いから、水不足になりやすいそうです。
今年の北陸の梅雨は全然降らないから心配ね。
この辺り雪はそれほど多くはないようで「富山はすごいでしょ」と(笑)
帰り際、ママさんのお写真撮らせていただきました。
 
「また来ますね!!!」

能登島の見どころとして、水族館、ガラス美術館、があるけど、
俗物的な所より、島をのんびりドライブしているだけで充分楽しい。
イルカウォッチングの船が出ているようなので、それは乗ってみたいですけどね。
帰りがけ、七尾のフィッシャーマンズワーフに寄って夕飯のお買い物。
 
帰りも能越自動車道で一気に帰ってきました。
次回は、海岸線でのんびり行ってみたいな♪

富山市民俗村

お隣の方と富山民俗村行ってきた。
立山連峰を指さす「少年よ大志を抱け!」みたいな像をがある。
 
今は「新幹線だー!」と指さしているのかもしれないけど。
誰かがネックレスをかけちゃったんだね。お数珠みたいで似合っています。

茶室丸山庵でひとやすみ。
 

優しい木漏れ日に澄んだ風。ここは空気が違う。
 

お庭には大きなトンボやアゲハ蝶が飛び交っていた。

 お抹茶と紫陽花というお茶菓子。
 

お庭を眺めながら「ずっとここに居ても飽きないね〜」と、2人でのんびり。
  
静寂に包まれる。
ここはお抹茶お茶菓子付きで、310円。
これが富山。絶対に儲かりそうもない(笑)
他の施設も入館料100円。

陶芸館。
 
アヅマダチというこの建物は、豪農の館を移築したものだそうです。
3階建てくらいの高さで、中は吹き抜けになっていて、涼しい。
立山杉、屋久杉、飛騨杉だったかな、日本各地の木材で作られたようで、
すごいお百姓さんがいたもんだ!
ケヤキもふんだんに使われていて、梁や柱、らんま、今ではとてもではないけど、
これだけのものは作れないでしょうね。
富山の雪は重い。北海道のパウダースノーと違い、この地方の雪は湿った重い雪。
その雪の重みに耐えられるだけの柱や梁なのでしょうね。
釘を1本も使わず組まれた様は、美しく重厚です。
市役所の方が丁寧に説明をしてくださって、へぇ〜へぇ〜と見学していて、写真を撮るのも忘れた。
そしてここでもお座敷に座り込んで、ついつい話し込んでしまった(笑)
日本家屋は落ち着く。

この辺は紫陽花が多く植えられていて、
でも今年の梅雨は雨が少なくて、紫陽花も干からびそうで気の毒。
 

赤い実はスグリかな。
 

民族合掌館。
 
お隣のご主人は囲炉裏が欲しいんだって。
釣ってきたイワナを焼いて食べたら美味しいでしょうね〜。
今年も、イワナや山菜いっぱいいただきました♪
こんな風に古民家に暮らせたらしあわせだな〜。
「でも、年をとると雪かきが・・・」そう言って2人でため息(笑)

ここは富山市安養坊。呉羽丘陵にあって文化集落となっています。
他にも考古資料館、民俗資料館、売薬資料館などあって、1度では観きれない。
あふれる緑の中、心地よい風が吹き抜けお散歩するにもよい所です。
次は紅葉の頃、そして立山の絶景が眺められる時に寄れたらな♪と思います。

ローマ帝国の興亡

BBC放送の『ザ・ローマ 帝国の興亡』をみた。
当時はローマ帝国の繁栄が永遠に続くと思ったでしょうね。
現代からみれば、3、4世紀時代の繁栄が永遠に続くと考える方が難しい。
栄華盛衰。
ローマ帝国も、モンゴル帝国も一時代の栄華に過ぎない。
ローマの皇帝ネロ。
明日にも敵が攻めてくる、戦術を練っているその席で、
ネロ「私の歌声に相手も涙を流すに違いない!私は歌を作らなければ!!!」と、
芸術家気取りな大いなる勘違い。
暴君に意見を言える者はいない。そうすると自分を神と思ってしまう。
神の歌声で敵を滅ぼせると本気で思ったのだろうか。現実がまったく見えていない。
日本の第二次世界大戦も似たようなものか。
日露戦争に於いて、全力で戦い勝った日本。余力を残して負けたロシア。
それを日本の圧倒的な勝ちと穿った評価をし、メディアが誤った情報を流し、
国民が誤った認識をもってしまった。
日本は強いのだと。日本国中が奢り高ぶってしまった。
自分を神国と信じてしまったところに、もう現実性はない。
諸葛孔明は政で大事なのは『公正、公平、公開』であると。
諸葛孔明はキリストと同じころ生まれた人。
現代でなお実行出来ていない。
日露戦争の記録は軍部によるねつ造。
そして第二次世界大戦敗戦後は、アメリカに没収される前に資料を燃やしてしまった。
話にならない。

フン族が移動し、ゴート族を襲う。ゴート族が移動し、ローマを襲う。
玉突きのようにゲルマン民族の大移動が起こる。
一時代の遊牧民は強いなー。
ゴート族は、ローマを乗っ取ろうとしたわけではない。
定住地が欲しかった。
安心して住める場所をローマの領地内に確保してもらうことが望みだった。
ローマを制圧しても、それがまた新たな火種となり、戦いを生むことがわかっていたから。
武力で劣るローマは、ゴート族の講和条件をのむ。
そしてゴート族が兵を引いたところで、約束を破って攻撃をしかけてくる。
ローマ人も高麗人も、遊牧民を野蛮な獣とみている。
まぁ、日本も大和朝廷からみれば、関東以北は蝦夷(異民族)とされたわけで、
国を問わず、権威をもたせると人間はロクなことにならん。権威の『威』の字がロクなもんじゃないしね。
高麗とモンゴルの戦いは40年に及んだ。
武力で圧倒的に上回る蒙古軍は高麗の領土を蹂躙した。
そうして講和条件を叩きつける蒙古軍に対し、高麗は外交で、
のらりくらり、そしてとり交わした約束を結局は守らない。
モンゴル人は言う「お前らは嘘ばかりつく!今度こそ約束を守るんだろうな!」
と言って兵を引き揚げる。
そして、ゴート族も、モンゴル人も「また騙された!」と、なる。
時代は違うけど、ローマも高麗も、
弱者が生き残るには、相手をだますことが外交手腕で、そこに罪悪感は無い。
その後あれだけ強かった遊牧民が消えてゆくのは、武器の発達によるもので強力な武器の前に倒れていく。
そして、燃料が石炭から石油に変った時点で、石油を持たない日本の戦争は負けだったのだ。
どんなに性能のよい戦艦や戦車があったとしても、燃料無しでは戦えない。
遊牧民がいくら馬を駆使しても勝てなくなった現実に同じ。

今も日本に資源が無い現実は変わらない。
石油エネルギーの時代に石油が無いのだから、世界で生きてゆくのは大変だ。
でも良いことがあるとすれば、
産油国には不労収入がある。頑張らなくても国はやっていける。
良いことのようだけど、そういう国はどうしても奢ってしまうし、努力を怠る。
エネルギーの無い国は無いことの強みを、ありがたく思わなければ。
人間こそ資源。
謙虚に慎ましく、でも胸をはって生きてゆきたい。