君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた

君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた/若松 英輔
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読了。

愛生園(ハンセン病療養施設)に住む宮崎さんという女性の話は泣きながら読んだ。
掃除や洗濯、水仕事をすると、症状が悪化し、指が朽ちてしまう。
「こんなふうにして一本一本、指を切っていって、いまはすべての指を失いました。
家事も何もしなければ指を守ることはできましたけれど、まったく後悔はありません。」
「若いころを振り返ると、らい患者であるということはさておき、喜んだり、苦しんだり、
生活することにいっしょうけんめいの毎日だったように思います。
でも、頑張りませんでした。楽しかった」
家事は宮崎さんにとって、文字通り、身をささげても惜しくない営みだった。
毎日の料理や洗濯、食器を洗うことなどの一つ一つの日常の営みに人生の真実が
潜んでいること、彼女は知っている。
宮崎さんの家は、あぁ、ここに幸せがある、ということがすぐにわかる、そんな空間だった。
ぜいたくなものは何もない。
宮崎さんとだんなさんがいる。質素な日用品が二人を取り囲んでいる。
そこには、二人の思いやる気持ちと信頼、そして出会えたことの喜びが今も満ちている。
二人は、互いが、なくてはならない存在であることを知っている。
そして、毎日が、かけがえのない時であることを深く味わっている。
人は毎日、出会い直すことができる。
何十年いっしょに暮らしていても、人間は、関係を日々新しくすることができる。

一本づつ指を切断しなければならない恐怖と悲しみがどれほどのものか、
ひとことも触れていないだけに、口に出来ないほどのものと想像する他ないのだけど、
彼女にとって人生とは、過去でも未来でもなく、今を生きるということなのだと思う。
何かを為すとかでなく、どう生きるかでなく、
『自分がそこに在る。』
旦那さまがいて、自分がいて、会話を交わしたり、一緒に笑ったり、何かを感じて、
そこに人生の真実がある。
生きるって、すごく大変で、その上さらに何かを為すというより、
生きているそのことを、もっと愛したいと思う。
表を見せ裏をみせて散る紅葉こういう生き方出来たらいいな。
本に救われました。

十二町潟水郷公園へ行ってきた。
ここが白鳥のくる公園らしい。今年はすでにシベリアに帰られたようですけど。
ヨッコイショ。
 
そして、
マターリヾ( ´ー`)
 
先週と今週のお休みで、ずいぶんあちこち行きました。
自然の圧倒的な美しさを見て、美しさと同等の怖ろしさを感じました。
自然は怖ろしい。
人間も自然の産物なのだから、美しくもあり、怖ろしくもあり・・・
自分もそう。
自然に対する思いと人に対する思い、
尊敬そして畏怖を忘れてはいけないなあと思った。