民族のアイデンティティー


主人の実家でみんなでお寿司をつまみながら話をしていると、庭に黒揚羽が舞っていた。

「お父さんかな?」と。

年に1度、こうしてみんなが集まって思い出話をする。

お盆という日本の文化が廃れていくのも欧米的合理化。

今に生きる人間にとって意味が有るとか無いとかでしか物事を判断をしなくなっている。

お正月の行事が無くならないのは、生きている人のお祭りだから。

お盆はご先祖さまのお祭りで、旧暦の7月になる。お正月から半年、

お正月とお盆で一対になっている。ご先祖さまを敬い、年長者を敬う。

合理化とは、文化や宗教の対極になるのかもしれない。

古くからのしきたりは理屈ではなく、思い。

理屈で考えると、宗教も文化も意味の無いものになってしまう。

面白いのは、ベトナム

亡霊騒ぎに、政府が乗り出したことがある。

兵士の像が夜になると動くというのだ。霊魂の存在を信じている。

「そんなもんいるわけないじゃん」とならず、軍隊を出して真相を確かめる。

そして軍隊も逃げ帰ってきてしまった。

科学で証明出来ないこと、理屈でないことを信じている。

ベトナム人の素朴さに心が安らぐ。

キリスト教は、キリストの教えを現代に合わせて解釈している。

イスラム教は、アラーの教えを昔のままに解釈していこうとしている。

アラブの春の混乱は、アラブが近代化を望んではいても、

イスラムの教え自体が近代化を良しとしていないことの矛盾に進退きわめているように感じる。

ルールは時代と共に変わっていくのでなく、アラーがすべてなのです。

孔子も古きしきたりを重んじていた為に疎んじられていたっけ。


殺人の場合イスラムの法では、日本でいうところの民事になる。

個人と個人の問題で、双方で話し合ってお金で解決をつける。

お金で解決がつかない場合には、同害報復となる。

同害報復とは、やられたことと同じことをやり返す。

今時、そんなことを言っているのはイスラムの国しか無いんじゃないでしょうか。

でも、それは野蛮ではあってもとても現実味のあることで、

日本の量刑は家族を殺された者にとっては、納得出来るものではないこともあると思う。

加害者の人権が尊重されるからだ。

イスラムがどんどん過激になっていく過程で、

アフガニスタンイラクで、女性子供を多く殺されている。

イスラムでは男は戦士ですが、女性子供を殺されたら、報復するしかないのです。

同害報復はイスラムの法なのですから。

逆に言えば、

イスラムの感覚では、イラク戦争のあと金銭で話をつけることは可能だったかもしれない。

9.11を考えれば、アメリカがイラクにお金を払うことなどありえないけど。

イスラム過激派は、アメリカが攻撃すればするほど、殺すことをやめるわけにはいかない人たちなのです。



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アメリカでは、9.11の衝撃によって、リバタリアリズムの矢が世界に向けて放たれます。

アメリカの自由と繁栄を守るためになら、他の国の犠牲を厭わないことを宣言し、

アル・カイダを匿(かくま)っているという理由でアフガニスタンタリバン政権を倒し、

さらに根拠もないままイラクフセイン政権を潰します。

まさに、自分の自由を守るためなら他人を抹殺してもかまわないという究極のリバタリアニズムでした。

リバタリアニズムとは極端な自由主義のことで、自分にとってよい状況を作るためには他者の排除は厭わない思想)

タリバンとは、アフガニスタンへのソ連侵攻に対抗するため、

パキスタンのISIとアメリカのCIAがイスラム神学校の若者をジハード(聖戦)の戦士に仕立て上げた。

これが、タリバンの原型。

オサマビンラディンも元は自国サウジアラビアの独裁悪政を批難し、国外追放となった身。

それが反アメリカになっていく。

アメリカが他国を支援するたびに、不幸の火種を撒き散らす結果になっている。

タリバンの多くはパシュトゥン人で、パシュトゥン人には、民族特有の『仁義』がある。

タリバンが、オサマビンラディンを匿ったのは、

オサマビンラディンを支持していたわけでも、アルカイダを支持していたわけでもない。

アフガニスタン紛争の際、タリバンを支援してくれた恩義に報いるため。

たとえどんな悪党でも、恩人が庇護を求めてきたら守り通さねばならないという、民族のアイデンティティー。

アメリカがなんでもかんでも潰そうとするたびに、タリバンにもより強い反発心が生まれる。

どの民族も民族のアイデンティティーがある。

それを無視してアメリカ的思想を押し付けて良いことない。