イスラームから世界を見る



イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)

ちくまプリマー新書は、若い人向けの新書。

岩波にもジュニア新書はあって、中高生向けとなっているけど、専門的で少し根性を入れないと難しい。

ちくまプリマーは、誰にでも親しみやすいレベル。

今は、新書もたくさん出ていて、迷う。

あっ・・・でも、中東に関しては、10冊弱くらいしかなかったけど。

書店に行くと、新書の棚は一応全部目を通す。

新書って、カテゴリー分け出来ないから、全部見るようになる。

そう言えば、この前、音楽は数学だといったけど、

今は音大を出てから、電子工学を学ぶ人がけっこういるらしい。

学問を分野で分ける時代ではないのだと思う。

イスラエルの大学は、途中で、学部や学校を変わることが自由に出来るらしい。

学んで初めて、これはちょっと自分の考えていた道筋と違うなって気づくこともあるし、

『学び』の為の学校であるなら、自由度は高い方がいい。

『学校の為の学校』だとシステム先行になってしまって、学ぶ方にとっては不自由なものになる。

そういえば、イスラエルの本を読んでいた時、

イスラエルでは、戦争中でも学校へ行っているとあった。

私と、常に戦闘地域に住む人とは感覚にだいぶ隔たりがある。

この前ベトナムを読んだ時も思ったのだけど、

死生観の違いは、どうにもならない。


事故や事件、そして災害で亡くなった方について、

「どうして誰々さんは、死ななければならなかったのか」というようなことばを耳にします。

このような台詞というのは、ムスリムには考えられません。

こう言われたら、ムスリムはおそらく耐えられないでしょう。

「死ななければならない。」というようなことはありえないのです。

死ななければならなかったとするなら、それは神が、そう決めたからであって、

他に原因などないと考えるのがムスリムです。

ムスリムイスラム教徒)

欧米型、日本もそうだけど、

『物事には原因があって、結果がある。』そのように考える。

イスラムでも西欧の近代科学の発想、合理主義的な考え方がないわけではないけど、

人の生死、運命に関しては、合理主義の発想はまったくない。

原因も理由もない。

それは神が決めたこと。

神に召されて天国へ行ったのだと、それを肯定し、

神が決めたことであって、他に死ななければいけなかった原因も理由もないのです。

不思議なくらいこの世を肯定しています。

例えば、イスラム教とキリスト教が争っていることでさえ、

今、こうなってることも神が決めたこと。それならばこれでいい。と。

すべて神がなさっていることで、間違いはないのだと。

何故・・・

という考え方が無い。

私たちはすぐ原因を追求してみたくなる。

でもそれは近代科学であって、

なるべくして、なっている・・・と考えるイスラムでは、通じない。

中東は、何故こうなのだろうと、私は考えてしまうけど、

それも多分イスラムだから・・・。しかない。

これでいいも悪いもない。

不思議だけど・・・

その考えを私は否定出来ないものもあって、

それを肯定していくと無茶苦茶になるのはわかってて、

でも、

わからなくもない。

世の中、理屈だけじゃない。


ベトナム

輪廻転生、死んでは生まれ死んでは生まれ、を限りなく繰り返すの古代インド思想。

ベトナム人の正義も、来世に幸せに生まれつくための正義。

イスラム教徒の正義も、アラーの元へ召されるための正義、

今世が不幸と思えば思うほど、神に対する正義は強いものとなるような気がして、

気の毒にも感じてしまうとしたら、日本人的、欧米的発想なんだと思う。

彼らには最後に神の元に召される幸せが待っている。

それが生きる心の寄りどころで、最期に『死』しかない人間とは相容れないものがある。

『人間の集団について』の書で、司馬遼太郎がこんなことを書いていた。


感情を押し忍びつつ言えば、ベトナム人のいのちは安そうだという印象が、かねて拭えなかった。

まるで草木のように刈られているし、北や解放軍の兵士たちも、

いかに正義のためとはいえ、

タンポポが胞子を散らすような自然さで命を散らしてゆくような印象があった。

命は大切だ。何よりも大切です。

自分にとって一番大切なことは、命を守ること。

その命を守ることと、国を守ることは同じことで、

国を守ることが、命を守ることに直結している。

でも、今日本はその実感がない。

一番一番大事な土台の部分が欠けて、命の大切さだけを教えている。

実感が伴わず、建前や理屈だけになってしまっている。

憲法だって、なんだって、変えることは出来る。

その気になればいくらでも変えることは出来る。でも変えない。

いくら最初はアメリカが作った憲法だとしても、結果的に骨抜きされて、

日本はアメリカに守ってもらうことを自ら選んでいる。

そういう生き方が合ってるのだと思う。

でも、

生きる上で肝心な部分をアメリカに任せているのだから、日本が自立している国とは言い難い。

国を守ることが、自分の命を守ること。

そこからスタートしている人と、国防が人任せですむ人との隔たりは相当に大きい。

ものの考え方すべてに於いて、違ってくると思う。