多文明世界の構図


先日読んだ文化人類学が面白かったので、似たようなものを。

国境とは、

人間の欲で作られたもの。

アフリカなんて、直線だもんなー。

同一民族を、地図帳に線を引くように一本のまっすぐな線で分断している。

人間の感情を一切無視した、これは植民地支配の名残なのかな。

この本は、

国境でなく、

人の生態で世界を分けて見ることを試みている。

東南アジアの『港』は、国というより、離れていても『港』という共通の生態形をしている。

それを同一の単位とみる。

どこに、どのような文明が、どのように起こったか。

国単位で考えていたら見えないものを掘り起こそうとしている。


私のジョギングコースは川沿いを走り、中間地点で橋を渡る。

ほんの数メートルの橋なのだけど、

橋を渡った途端、風も空気も変わる。

そこだけ天候さえ違う時がある。

キツネにつままれた気がしてしまうけど、

そこから数メートルの所に『風の通り道』があって、

夏のどんなに暑い日も、無風の日も、そこだけは涼しい風が吹いている。

空気も違う。

鳥も集まる。

でも数年前、その裏手にブルートーザーが入り、木が伐採され、鳥は一気に減った。

それでも風だけは変わらずに吹いている・・・

そういうものに、人は『神』を感じていたのではないかと思う。

ジョギングは、

空気の微妙な変化を感じることが出来て面白い。


本来、土地はそうやって、

川や山や森、環境の微妙な変化で生活に違いが生じ、集落を作り、区切っていたのだと思う。

身体が導きだしたもの。

でも今の国境は脳が作り出したもの。

権利と欲の象徴。

川は形を変えられ、

山は削られ、

木は伐採され、

川、山、森にいた、お化けも神も、失われ、

自分たちの源流が見えなくなってしまった。

人には、

生理的に納得出来ないものがいっぱいある。

理由はわからないけど、イヤなものはイヤ。

それが身体の声に思う。

脳中心社会の中で、身体は声を出さずに叫んでる。

深層心理というのは、失われた身体の声かもしれないなー。

アロマで癒されようとするのも、

音楽で安らぎを得ようとするのも、

コーヒーの香りも

茶の味

性欲も

身体が欲する声。

脳は、もうなんだかわけわかんなくなってる。

コーヒーは、覚醒作用があるので、

仕事をして、コーヒー飲んで、また仕事をして、

先進国の資本主義経済と共に成長を遂げている。

その裏で、プランテーションで搾取されている人々がいる。

どんどん物(コーヒー)が安くなるのはよいが、

その実、大手企業が森林を伐採し、すべてコーヒー園にして、それまでの生態系を崩し、

低賃金、劣悪な環境でコーヒー栽培を強いている現実。

コーヒーを飲みながら癒しを得る方、

コーヒーの栽培をしながら今夜の子供の食事にも窮する方。

だからといって、コーヒーをボイコットしたら、働いている人たちはもっと困る。

コーヒーだけの話しでは無いですけど。

グローバル化とかTPPとか、

それらはフェアトレードという理性で成り立たせなければ、

なんだか・・・

過激な言い方だけど・・・

間接的な人殺しになる気がする。

グローバル化という名の植民地化になりかねない。

理性でしか救えない世の中だけど、

理性では生きられないのが人間。

自分の生活が、何の上に成り立っているのか、

見えない部分を考えてみる必要はあると思う。