SCENT OF A WOMAN
盲人役のアルパチーノの目力、眼光の鋭さが半端ない。
見える人間以上に、何でも見通す。
でも、自分の心の思うままに振舞った後には、
見えない虚しさが、かえって湧きあがる。
暗闇という絶望から命を絶とうとするのだけど。
人は、どんなであっても生きていたら、誰かに何かを与えることが出来る。
その人しかもってない何かがきっとある。
絶望しちゃいけないんじゃない。
絶望することはあっても、
絶望から立ち直る力も必ずもっているということを、否定してはいけない。
正論が、あたかも正しいような今の風潮をぶっとばすような映画。
アルパチーノや、運転手、警官の正論ではないところの人々の心が、人を救う。
計算で生きる大人たちに翻弄されず、真摯に生きようとする青年の姿を描いているのは、
『小説家を見つけたら』と、一緒。
ラストは『小説家を見つけたら』のデジャブかと(笑)
『中国史の名君と宰相』も、難しいけど、面白く読んでる。
中国の長い歴史の中に、見習うべき人たち、見習うべきことがたくさんある。
中国が好きになる。
尖閣諸島も、
中国の地方の貧しい人たちの為に利用してもらえるのなら、
どうぞ、どうぞ、
と、まぁそんな気持ちになってしまう。
現実は、そうもいかないのでしょうけど。
でも、
世界平和を言うなら、
結局そういうことなのではないかと思う。
TPPも日本には相対的に損だとしても、世界が相互に助け合う形に不参加というわけにはいかない。
アメリカの姿勢を変えてもらうこと。
勿論、話せばわかるなどという事は国際的にはまったく通用しない。
そんな話の通じない相手と、どう対話していくか、
長い年月かけて勉強していかなければいけないと思う。
長い目で見て、そういうことなのではないかな。
好きとか嫌いとかって、
とても単純なことに思う。
テレビで流している中国を見れば、誰でも中国に悪感情を抱く。
でも、
シルクロードを見たり、本の中の中国に私は憧れを抱いた。大好き。
嫌いが、単純に好きになるのは、
そもそも相手をよく知らずに嫌いになったから当たり前。
人間の感情は、外部からの影響で、いっくらでも変わる。
もしTVが、中国の良い部分しか映さないとしたら、
誰も悪感情を持たない。
マスメディアは怖いです。NHKであっても怖い。
どこにでも、多少の情報操作はある。
マスメディアによって、様々な情報が得られるのは有難いのだけれど、
マスメディアが人間の手によるものである限り、何にでも主観はある。
嫌いは嫌いでいいし、好きは好きでいい。←ここは無理にいじったらいけない。
でもどちらにしても絶対なものではない。
年齢と共に『慈しむ』という心が、増してきたように思う。
好きなものは、元々好きだけど、
嫌いだったものに対しても、その中に悲しみや儚さをみることで、愛おしい気持ちが芽生える。
何でも好きになればいいとは思わない。
生理的に無理!は、ある。
だけど、苦手なものが減ってくると、自分自身が生きやすくなる。
頑なな心のままでは、なかなか生きづらい。
心を開くには勇気がいるけど、
少しでも嫌いが少なくなれたらいいなと、思う。