リアリティー



歴史を考える―司馬遼太郎対談集 (文春文庫 し 1-50)

歴史を考える―司馬遼太郎対談集 (文春文庫 し 1-50)

40年前の対談集の最後は、こんな言葉で締めくくられている。


山崎正和

「実際、世論というのはモザイク状になっていて、全部繋がってないですね。

安保条約に反対だ、それでも軍備はしないとなれば、

これはせめて海が遮断されても当分困らないくらいのエネルギーの貯蓄をしなければいけない。

そうすると石油タンクをつくらなきゃいけないけれど、これは公害反対でダメ、

それでは原子力発電所をつくりましょうというと、これも危険だからダメ。

そうすると、この世論の一つ一つは、その局面においてはたいへん正しいんですが、

それを繋いでいったときにどうなるかというと、何も出てこないんです。

こういう日本人の非論理性、リアリズムの欠如という性質はやはり日本が島国で自給自足をしていたことに由来するのでしょうね。

昔ならそれでもよかったでしょうけれど、不幸にも開国してしまったから。」

司馬遼太郎

「私どもはやっぱりむつかしい国に生まれたんだな。

フランスとかドイツに生まれていれば、外交なんか単純だからいいですね。」

山崎正和

「そのかわり、国民全体が切実なリアリティーに直面しているわけだから、

占領もされるし、ひどい目にあわされる。

どっちが幸福だったかはわからないですね・・・・・(笑)」

40年間・・・いや、もっとずっと前から、

この堂々巡りをしていると思うと、本当笑うしかない。

いや、堂々巡りが可笑しいんじゃなくて、

それで何十年も、本当になんとなくやってこれてしまうのが可笑しい。

これだから、本気で考える必要が無いのだと思う。

多分この先100年も200年も、この堂々巡りの中で

なんとなくやっていくのが日本で、それが日本人の本質に思う。

なんとなく、なんとかやっていくのが一番性に合ってる人種だと。

これ以上の踏み込んだ討論は心情的にタブーなんじゃないかな。

これは農耕民族の大らかさで、今年はダメでも来年は収穫があるかもしれないという楽観さ、

それと比べて遊牧民族は、家畜全滅なんてなったら民族全滅になるので、悠長ではいられない、

早急に物事進めていく必要性があるから独裁者が必要とされる。

日本みたいにみんなでのん気に話し合いしてたら、他民族から侵略されてしまう。

日本は、島国ゆえにおぼっちゃまとおじょうちゃまに育ってしまうのは仕方ない。

親も子に甘いが、国(親)も国民(子)に甘い。

もっと厳しい現実があるのに、なるべく嫌な話はしないようにしている。

だからリアリティーがない。

アメリカのドラマのERでは、

若者の急性アルコール中毒の怖さを親が子に伝える場面がある。

日本だって、急性アルコール中毒で死ぬことがあるくらいは知っている。

じゃー、子供の体重から換算して、どれくらいの量で死ぬ可能性があるか、危険か、というとそんな話はしない。

「未成年がお酒飲んではいけない」日本人が話が出来るのはそこまでだ。

これが日本人のリアリティーの無さだと思う。道徳だけでしか物事見ることが出来ない。

いけないことを、好奇心や冒険心でついついやってしまうのが若者であるという当たり前を認めない。

好奇心や冒険心は若者の特権でそれはとても素晴らしいことだけど、

その行為として煙草や飲酒が間違っているという、

そこを分けて考えることが出来ない。

何故しちゃいけないという観念はあるが、何故してしまうかという現実が無い。

そして『そういうとこアメリカは合理的だなー』といって片づけてしまうが、

合理的というより現実をそのまま受け入れてるのだと思う。


アメリカにNoを言うには、アメリカと敵対することだって考慮しなければいけないはずなのに、

そうしたら、原油が無事日本に届くかどうかもわからない、

中国が攻めてくるかもしれない、

そういうリアリティーが国民に欠けている。

日本は大丈夫心配いらないよ・・・と、国民を温室で育てた結果かと思う。

平和憲法によって日本は平和なのだという安易な教育が神経を麻痺させてしまっているんじゃないかな。

平和憲法なんて飛んでくるミサイルにはなんの効力も無い。

平和憲法がミサイルから守ってくれるわけでもないことを逆にまずきちんと教育しないといけない。

命を守る大変さは、綺麗ごとではない。

必要悪というのもあることを明言しないと、このままじゃ夢の国の住人になってしまう。

そんなこと言っても

なんとかやっていくのが日本だから、多分国民は平々凡々してても大丈夫なのだ。

ありがたいことなんだろうな。

私は怖い話をしたいんじゃない。

そんなことは、実は枝葉でどうでもよくて、

現実を見つめる感覚をもってないことが、人間を鈍感にしているような気がしてならない。