誇り
落ち込んでいるとき、もう1つ私を慰めてくれたものが、
若い人の夢や希望って、いいな。
キラキラ輝やいてる。尊いなー。
長時間みてると、多分情がうつるんだと思う、泣いてばっかりだ。
主人はこういうものは、好まないので、みるとしてもゴールのところくらい。
今年は留守なので、私1日中みてた。
日本では、こういうのは、誰かに何かを訴えるとかじゃなく、
1年に1度、楽しみたい人が楽しむ、そういうスタンスが合っているんじゃないかな。
欧米では、ボランティアやチャリティーは、宗教から根ざしている。
『隣人を愛せよ』
宗教が背景にあるのと無いのとでは、同じことしても同じようにはいかない。
クリスマスの中身が違うみたいなもんかな。
1年に1回、みんなで何かをする・・・
世界にはカレンダーが無い人たちだっていくらだっている。
1年1回が無い。
そんな事に思い馳せたり。
私は24時間テレビで涙しても、何もやってない。
主人は24時間テレビは好まないけど、海外の学校に寄付は続けている。
私の涙が偽善といわれたらそうかもしれないし、
主人の寄付が偽善といわれたらそうかもしれない。
偽善と善の定義はどうでもいいし、そこを考えても何も変わらないし、
事実しかないんじゃないかと。
海外だと、
障害者と健常者の区別ってほとんど無いように思う。
変な言い方かもしれないけど、
どこもかしこも、障害者がいっぱいで、特別なことではない。
以前、何かでみたけど、
自国での障害者の割合を
日本は10%以下と感じてる人が一番多く、
アメリカは30%以上と感じている人が一番多い。
実際の障害者の割合は知らないし、ここまでの差はないだろうけど、実感として近いものある。
ボランティアも、
行政が手が回らないから、当たり前のように住民=ボランティア、
地域住民がなんらかに携わり、そして誇りをもってやっている。
『誇り』
そこが一番違うんじゃないかな。