勇気

竹島問題とか・・・

両国にとっては必死かもしれないけど、他国から見たらくだらないだろうね。

喧嘩なんてそんなものなんだろうけど。

国内に統一感を出す為には、仮想敵国作るのがいいんだろうけど、

踊らされてる感しか伝わってこない。

思想が違えば、分かり合うことは難しい。

これはどうしようもない。

話し合えばわかる・・・なんていうのは、日本だけの甘い考え方なんじゃないかな。

中国は、約束は守らない。

いや、守るけど、守るのは、自分に利益のある時だけ。

えーーーーーーって思うかもしれないけど、

より合理的なのは、そっちの考えだと思う。

何故自分が不利な思いをしてまで約束を守らなきゃいけないか・・・

その考えの方が高度過ぎる。

日本が思想を変えられないように、他国も変えられない。

騙す方が悪い。これは万国共通だけど、

騙される方も悪い。これも日本以外の国ではよくある考え方。

自分のことは自分で守らなきゃ守れないという世界の常識。

社会が、国が、親が、先生が、政治家が、警察が、国連が、地の果てまで守れるわけないのだから、

自分の身を守る術を自分が持つしかない。

厳しい言い方だけど、イジメには勇気を出して相手と戦うか、学校をやめるという勇気ある撤退か、

どちらにしても本人の勇気がいるのだけど、

親がそれを子供に教えるしかない。

悲しみには、いつの場合も勇気が必要なのだ。

悲しみや不幸を知らずに育つ大人は、理想論でものを考えるけど

世の中、理想と現実は違うこと、大人なら誰でも知ってるはず。

この前の水上勉じゃないけど、いざとなったら自らお寺に行く。

今の葬式坊主がどこまで力になれるかわからないのも困ったものだけど、

何かの力にはなってくれる。本来はそういう所でしょ。

とにかく、暴漢に襲われたら、命懸けでとにかく逃げる。素手で戦ってる場合では無い。

学校でも会社でも政治の世界でも聖職者でも悪い人というのは必ずいるし、

1人の人間の中にも必ず悪は潜む。

天使は英語でエンジェルだけど、

エンジェルの語源はギリシャ語のエンゲロス。

天の使い。仕える霊。その霊には良い霊も悪い霊も入ってる。

天使の中にも悪は存在する。まして人間が善だけで生きてるわけない。


昔は、教師も親も子供を殴った。理不尽でも、怖いから、子供はそれほどの悪いことは出来なかった。

今は教師や親が怖くないから、子供は自分を自分で律しなければならない。

自分を律するなんて大人でも無理なのに、子供に課せて無理に決まってる。

虐待が無くなるのは本当に良いことだと思う、子供の人権が叫ばれるのも大事に思う。

ただ物事には必ず両面がある。

怖いものがなく甘いままの子供が大人になる。

社会に出れば、世の中理不尽だらけ、そこに耐えるにはあまりにも人間弱すぎる。

私は父と2人慣れない海外生活に、最初は戸惑うことも多く大変だった。

けっこう惨めな思いもした。

英語で怒られても、何を怒られてるのかがわからない。

曖昧にヘラヘラ笑っていて、余計怒られる。

わからないことはわからないとちゃんと伝えないといけない。

言葉がわからないのは恥ずかしい。でもその壁をぶち破らないといけない。

そこで生きていくには勇気だけが必要だった。

空元気のようなもので、空勇気かもしれないけど、お陰で私は強くなった。

自分に強いという、いらぬ自信がある。

それは英語が出来るとかじゃなく、勇気。困難は人を強くする。

だから、私はちょっと社会ではハズレているかもしれない。強くなりすぎた。

私の行ってたジムのトレーナーさんは、小学生の時、ひとりでオーストラリアに行ったという。

「へぇ〜エライね。成田でいってきまぁ〜す♪って、不安にならなかった?」と、尋ねたら

「違いますよー。成田までもひとりで行きました。」

「えっ?!新幹線に乗って?成田でひとりで手続きしたの?!」

「そうです。親は家の門の所で行ってらっしゃいって(笑)」

子供に勇気をもたせるには、親御さんにそれ以上の勇気が必要であることを、考えさせられました。

御両親に脱帽。

口で勇気は教えられない。

世界には治安の悪い国はいくらでもある。

でも、そこで生きていかなきゃいけない子供たちがいる。

自分の身は自分で守る。

親が子供に食事を与えられない国だっていくらだってある。

子供たちはゴミを漁って生きている。

日本もまず、生きていく力を蓄えよう。

ってね、ことばで言っても何も変わらないんだけどね。

日本は話し合いばっかだから・・・