恭順

最後の将軍―徳川慶喜 (文春文庫)/司馬 遼太郎
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新撰組や白虎隊の視点での幕末は多少知ってはいても

こっちサイドからのアプローチは初体験。

これを読まなければ片手落ちになるとこだった・・・・・

榊原喜佐子さんの本で、

慶喜公は、生涯、寝る時は、右腕を下にしていた」とあったのを読んで

ふーん、なんでかなと思ったら

「寝ている時に不意に襲われても右腕を斬られないために」と、この本にあった。

ほぉ〜

キムタクの映画『武士の一分』でもあったあった。

その辺がスっと結びつかないのが、私のオバカなところ。

慶喜は幼い頃、寝相が悪いのを矯正する為に、

枕の両脇にカミソリの刃を立てていたと言うのだから、武士の躾けと言うものは想像が及ばない。

三つ子の魂百までというけど、

慶喜は何事も水戸の教えを守り通した。

それにしても、

慶喜ほど星の巡りのややこしい人は、そうはいない。

慶喜は、

父が武士(徳川)、母が貴族(有栖川)の言ってみればハーフ。

両方の相反する気質を備えてる所に、この人の捉えどころのなさが感じられる。

しかも水戸藩で生まれ教育を受けている。←普通なら将軍職には縁が無い。

水戸の教えとは、

『もし江戸の徳川家と京の朝廷のあいだに弓矢のことがあれば、いさぎよく弓矢を捨て京を奉ぜよ』

勿論公然ではないが、その教えが代々受け継がれていた。

(旗本から、水戸は謀反のお家筋と見られていた)

そんな人が、この一番ややこしい時に

固辞しても固辞しても、将軍にならざる負えなくなってしまったのだから(世継ぎ不足)

星の巡りが悪いとしかいいようがない。

それ以前に、安政の大獄で謹慎の身となってしまった時に

『国家興亡の法則』を知ろうと、熱心に国内外の書物を読んでいたのだから、

慶喜の目にはすでに、ひとり終盤が見えていたのではなかったかと思う。

先見の目がありすぎて、誰ひとりついこれない不幸がここにある。

井伊直弼桜田門に倒れ、自分が大赦されると知った時、

「そんなバカな。自分は赦されるべきではない。」と言って不快を露わにしたというのも可笑しい。

「井伊が死んだからと言って、罪人が解かれたら、国法が成り立たない。幕府の威信が失墜する。」

と言うのが慶喜の理屈。

このまっすぐさが、幕府や側近にとっても、はた迷惑としか映らない。

頭脳明晰、

正しすぎて、殿様としてKYすぎる。

多芸多才、何をさせても一流、

武芸に優れ、大工仕事もカンナをかけさせれば芸術、髪を剃るのも家臣より上手いという。

そんな殿様いないし、謹慎の身であっても、その期間に色々学べたことを

井伊に感謝の念すら感じているところも、殿様と言うより、軍師であったら・・・と思う。

どう見てもこの人は水戸!水戸光圀の血が流れてる。

そして家臣に語った。

「政権を捨ててしまおうか!」

\(゜□゜)/あせる

これは慶喜が将軍職を打診されていた頃の話。

大政奉還の話が出るずっと以前に、

慶喜は、徳川から政権を剥奪することを自ら考えていたことにびっくり!

勿論、家臣にたしなめられる。

これから徳川のトップに立とうという人が、言う言葉じゃないことは確かだ。

でも、もう徳川が政権をとる事が無理なことも

幕閣より薩長の志士の方が策略家であることも

全部全部わかっていたのだと思う。

最終局面は見えているのに、

薩長や幕下、朝廷、すべて歯がゆかったと思う。

世の中の人は、慶喜が日本を横領するかのごとき思っていた。

それほど、その有能さは脅威だった。

幕下からも朝廷からも、日本中から疎まれるという、なんとも孤独な徳川将軍。

鳥羽伏見の逃亡劇は。

あれは

他に道があったか?

幕府内はすでに戦イケイケの群衆心理。

海軍をも出せば、幕府軍が勝てたと思う。

でも慶喜の賢さは

『武力で勝てても、政治力で勝てない事』を悟っていたこと。

そんな戦に意味が無い。

そして内乱に乗じて必ず外国が入ってくる。

現にフランスが幕府に力を貸すと言っている。

そうなったら、末は諸外国にあるように外国の命に従うようになる。

かと言って、降伏はすでに無理。

薩の挑発に乗せられ、幕下のイケイケ群衆心理はもはや催眠状態。誰も止められない。

そりゃそうだろう。

ここまでされて、黙っていることなど上を大事に思う武士には出来ない。

とすると・・・

この戦いを避ける方法は

大将がひとり逃げるしか、手がなかった・・・と思う。

大将がいなければ、戦は終わるしかない。

この逃亡劇に松平容保も付き合わされるのだけど、

これも笑える。


松平容保いわく・・・

「庭を散歩するのかと思ってついて行ったら、どんどん城の外に出てしまった(ノ゚ο゚)ノ」

慶喜の考えは、常に慶喜の心の中にあるのみ。

ただ、残された御家来たちに対しての情の薄さがこの人の人気の無さで、

どこか貴族のひょうひょうとした部分が、熱い武士の中では解せなかったのかと思う。

そして、江戸に着き勝海舟の前で涙を流す。

慶喜「錦旗が出た」

このひと言が全て。

錦旗が出たということは、徳川が賊軍になったということ。

水戸風の国家理論

『京都朝廷を尊び、武家政権をいやしむ』

『日本の元首は天子であり、幕府はその委任を受けて日本国の政治を代行しているにすぎぬ』

その教えを終始一貫胸に抱き、大政奉還までした自分が朝敵・・・・・・

鳥羽伏見の逃亡劇には、色々理由をつけるとしても

一番は、朝敵になってしまった自分自身に耐えられなかったのではと思う。

それこそ、幼い頃から叩き込まれた武士(水戸家)の一分。

家康は天下のために幕府を開いた。

慶喜は天下のために幕府を閉じ、武家政治700年の歴史に終止符をうった。

蟄居してからは、趣味に高じていたようで何より(笑)

油絵が好きで、キャンバスも絵の具も自作というのだからすごい。

刺繍も大作を作ったらしいが「作品が後世残ることは本意ではない」と処分したらしい。

砲兵工場で、飯ごうを見て気に入り、

「アルミニウムは身体に害がないか?」と確認している。

安全に確信が持てなかったので銀で作り、死ぬまでその飯ごうで自分でご飯を炊いていたらしい。

明治の時代にすでにアルミニウムの安全性を気にしているその着眼点にも驚く。

内心を人にあまり語ることが無かったようで、本当の気持ちはわからない。

この本は勿論ひいき目はある。

でも久しぶりに読む司馬遼太郎はとても良かった。