論語?
葉公(しょうこう)が孔子に語った。
「私の領内に無類の正直者がおりまして、
父親が羊を盗んだとき、その事実をすすんで証言しました。」
孔子が答えるには
「私の町の正直者なら、そういうことはしません。
父親は子供をかばい、子供は父親をかばうでしょう。
そういう自然の情に従うのが正直ということではないでしょうか。」
なんと情けのある言葉でしょう
論語の教えは
父母に間違いがあったときには、遠まわしに諌(いさ)めるがよい。
仮に聞き入れられなくても、ひたすら相手の気持ちを尊重し、逆らったり、不満を抱いてはならない。
私は、
正しく生きたい。
そんなことばかりに捉われてました。正しい道さえ歩んでいけば・・・・・みたいな思いが強かったです。
そんな時、ガツンとやられました。
人の道は、正しければ良いってもんでもない。
そんなことでエライと自分を過信しちゃダメなのだと。
正しいことにしたって限界というものがある。
その限界が見えてしまった時は『愛』しかないんです。
『愛』という起点が失われてしまうと、世の中成り立たなくなる。
それが日本の法律、刑法105条
前2条の罪(犯人蔵匿、証拠隠滅)については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる。
親族の犯罪の特例として国で認められている。
これは、この論語の教えから発したものです。
日本は法治国家です。法に基づいて国は成り立ってる。
その法にこうして論語の教えが今も生かされている。
犯罪者をかくまうなど間違っていることでも、親子の愛だけは優先されるべきものなのだと。
誰でも知ってる当たり前の法律でも、そこにはとても深い意味があるように感じました。
堅苦しい法律でも、実は愛から成り立ってる。
そう感じた時、論語って他にどんなことが書かれているんだろう。
知りたい!
と、思ったんです。
そう言ってはなんですが、論語には情緒が溢れてます♪
清く正しく美しく生きられるものなら、生きたいじゃないですか