3月の言葉。

古教照心 心照古教(古教 心を照らし 心 古教を照らす)

本に読まれるのではなく、自分が主体となって読む。

そこではじめて生きた知識になる。

これが活学というものである。

難しいなー

書物は、「そっかそっか」と読むだけでは受動態。書物が主体で、自分は読まれている。

最初は勿論それでいい。

素直な気持ちで受け入れる。

でもいつまでもそのままでは、洗脳とかわらない。

書物というものは、読まれたのでは仕様がない。自分が読まなければならぬ。

まだ難しい。

「そっかそっか」の次に

それで

では、自分はどうするべきか。

どう考えるのか。

どう行動するのか。

書物から得たものをどう生かせるか。

人生に生かし、

それをまた世に生かせるほどのものにしていかねばならない。

かなぁ・・・・・

わからん!

わからないけど、

すごい言葉だな。。。

私はこれから先、この言葉の意味をたびたび考えると思う。

本に読まれてはいけない・・・・・・

私、

いつも

「そっかそっかaya

と、感動し

いい気持ちになって終わってる。

次のステップに進まないと・・・だな。

書物から与えられるだけの人生にしてはいけない。

何が出来るんだろうか。

益々わからなくなってくるけど。

私は大いなる間違いをしでかしてた。

良い言葉を得たわーい

謙虚にならなければ。