禅の教え。
禅の教えは、当たり前のことを優しく教えてくれます。
例えば、
『福の神と貧乏神は、いつも一緒に歩いてる』
読めば思わず「うんうん」って感じなのですが、
肝心な場面(特に浮かれてる時)には、つい忘れてる自分がいます。
『悪口は毒蛇だと思え。』
悪口を言われても、丁寧に受け取らなくていいのです。
毒蛇をもらう人はいないでしょ?
ムキになってわざわざもらって、胸に抱いて、心を痛める必要はありません。
相手も多分毒蛇の処分に困ったのでしょう。
その辺に打ち捨てておけば良いのです。
見ちゃったことは気分が悪くても、おうちに連れて帰ることはありません。
とは言っても、
『人間は本来愚かで弱いもの。』
なので、出来ないからと言ってそこをあまり責めないこと。
愚かで弱いことを大らかに認めながら、ちょっとづつ歩んでゆけばよい。
『南山打鼓北山舞』
お互いすべてを認め合い、受け入れ合い、信じ合い、最高の人間関係を築けば、
二つの心は時間も空間も超越し1つになり、遠くにいても感応し、相呼応し合うことが出来る。
禅の中でも私の好きな言葉は、
池の水面に映る月は、小石を投げ入れると、その光を乱す。
でもゆらゆらと月の影が崩れるのはほんの一瞬だけ。
しばらくすると、なにごともなかったかのように、
月は前と少しも変わらず、静かな光を放っています。
(なにごとかあれば、心は揺れる。でも自分の本質までは突き崩されてはいけない)
いろいろな意味にとれると思うのですが。
私も何かあるごとに、心は乱れます。
でも本質の部分に誤りはなかった。という揺るぎない思いがあります。
そうすると、思い悩むことではない。
それが私の救いです。
私は私。本質の部分ではなんにも変わってない。
おまんま食べて、うんこして、寝る。これが私。
たいしたやつじゃーないけど、
それだけ出来れば完璧な気もする
大丈夫、みんなたいして変わらない(笑)
こんな風に勝手な解釈でも、禅の教えを読んでいると心が和みます
深層の部分で大きく動いた気がします。