李陵・山月記

李陵・山月記 (新潮文庫)/中島 敦

¥432
Amazon.co.jp 中国の古典を題材にした短編4作品。 あ〜〜〜やっぱり中国はいい。感動、感涙。 この著者の文体は硬質でもサラっとしている。 感情をおさえながら、著者が伝えたいとしていることがぐぃぐぃ心に入ってくる。 文語調で、しかも読みやすい。 この『李陵』を読めば、万人が中国の古典を好きになるのではないかなぁ・・・ 短いけど深い。 簡素ではあるが重い。 『弟子』 孔子子路の子弟物語。 『この人と、この人を竢(ま)つ時世とを見て泣いた時から、子路の心は決っている。 濁世(じょくせ)のあらゆる侵害からこの人を守る盾となること。 精神的には導かれ守られる代りに、世俗的な煩労(はんろう)汚辱を一切己(おの)が身に引き受けること。僭越ながらこれが自分の務めだと思う。学も才も自分は後学の諸才人に劣るかも知れぬ。しかし、一旦事ある場合真先に夫子(ふうし)の為に生命を擲(なげう)って顧みぬのは誰よりも自分だと、彼は自ら深く信じていた。』 この文章に、ドラマ孔子伝の子路がよみがえり泣けてくる。 子路は弟子の中でも珍しく『武』のひと。 他の優秀な弟子たちと比べれば劣るところもあるけれど、 とにかく孔子のことが好きで好きでたまらない。大きな体で純粋無垢にひたすら孔子を愛する。 痛ましいほどの愛。愛に勝るものはない。 孔子孔子の弟子たちも大好き。 『李陵』 主人公は、漢の時代を生きる李陵、司馬遷、蘇武。 李陵は匈奴の数万の軍勢に5千の手勢で善戦するも捕えられてしまう。 国では、李陵が匈奴に寝返ったと謀られ、 その中で、唯一司馬遷だけが李陵がそんな人間ではないことを進言するが 逆に武帝の怒りを買い、司馬遷宮刑にされてしまう。(宮刑とは、男性器を切り落とされる極刑) 司馬遷は自分が進言することで、命を落とすこともあるかもしれないとは思っていた。 しかし刑罰の中で、もっとも恥辱である宮刑を課せられるとは思ってもいなかった。 司馬遷は自分を男だと信じていた。文筆の吏ではあっても当代の如何なる武人よりも男であることを確信していた。(中略) 車裂の刑なら自分の行手に思い描くことが出来たのである。それが齢五十に近い身で、この辱めにあおうとは!』 痛憤と煩悶の日々。 死ぬこと以上の苦痛苦悩の中から歴史家としての道を歩まねばという意識が芽生える。 生きることの歓びは失っても、表現することの歓びは息絶えることはなかった。 修史の仕事を終えるまでは、耐えがたくとも生きながらえなければならない。 その為には自分の身を亡きものに思い込むほかなかった。 李陵は、気を失ったところを敵に捕まってしまっていた。 敗戦の将では帰れない。手柄をたて(敵将の首を土産に)漢に帰る機会をうかがっていた。 匈奴の王は、敵ながら李陵の武を讃え、客人の扱いをした。 王の若い息子は、李陵の武勇を純粋に尊敬し、弓などの教えを請うようになり、2人で野を疾走する。 漢で、李陵の一族が武帝に皆殺されたことを伝え聞く。 敵とはいえ、李陵を勇将とみて、接してくれる匈奴と、妬みからあらぬ噂をたて、一族皆殺しにした自国の漢。 『漢の人間が二言目には、己が国を礼儀の国といい、匈奴の行を以て禽獣に近いと見做(みな)すことを難じて、単于は言った。漢人のいう礼儀とは何ぞ?醜いことを表面だけ美しく飾り立てる虚飾の謂(いい)ではないか。利を好み人を嫉むこと、漢人と胡人と何れか甚だしき? 色に耽り財を貪ること、又何れか甚だしき?表(うわ)べを剥ぎ去れば畢竟(ひっきょう)何等の違いはない筈。 ただ漢人はこれごまかし飾ることを知り、我々はそれを知らぬだけだ、と。 漢初以来の骨肉相食む内乱や功臣連の排斥せいかんの跡を例に引いてこう言われた時、李陵は殆ど返す言葉に窮した。』 功を立て是が非でも漢に帰るという李陵の強い思いは、月日と共に漢への憤怒と迷いに変ってきた。 そしていまひとり蘇武。 蘇武は匈奴使節として遣わされたが、捕えられ、胸を突いて死のうとしたところを匈奴に助けられ、それからバイカル湖のほとりで極寒に耐え、氷を食べ、ねずみを食べ、匈奴の降伏にも屈せず、困苦の中でひとり戦うがごとく生きていた。 そんな蘇武に会ったとき、李陵は自分を恥じた。 『飢餓も寒苦も孤独の苦しみも、祖国の冷淡も、己の苦節が竟(つい)に何人にも知られないだろうという殆ど確定的な事実も、この男にとって、平生の節義を改めなければならぬほどのやむおえぬ事情ではないのだ。』 蘇武は機会を得て、19年ぶり祖国に帰ることになった。 司馬遷は、現実では一切口をきかず書物でのみ生きた。 李陵は故地で死んだという以外記録は残されていない。

THE TUDORS 〜背徳の王冠〜

THE TUDORS 〜背徳の王冠〜を見始めた。
イギリス、ヘンリー8世の物語。
以前読んだ阿刀田高の『シェイクスピアを楽しむために』の中に、
この辺りのことに触れていたのを思い出して、ページを手繰ってみた。
『まったくの話、このあたりの三百年間、イギリスでは、いま述べた大憲章(マグナ・カルタのこと)の成立やイギリス議会の誕生のほか、十字軍の派遣、ウェールズ戦争、百年戦争黒死病の流行、ワット・タイラーの一揆、宗教問題、薔薇戦争などなどヨーロッパ史を賑わす出来事がたくさん起きているのだが、シェイクスピアの筆は、むしろそういう事件をドラマの背景に置きながら王位を中心に争いあい、裏切りあい、謀殺を敢行する人間たちのドラマの方へ向いている。確かに大憲章より暗殺劇のほうがおもしろい。』

エリザベス一世(ヘンリー8世の娘)の映画は2作ほどみている。
面白くはあるけど、のめり込むってほどのものはない。
アーサー王物語は、ロマンと冒険で好き。
中世のヨーロッパってイメージ♪
シェイクスピアもこのドラマもヘンリー8世を描いたけど、なんでだろう。
まったく魅力を感じない。

ローマカトリックでは離婚が許されていない。
ヘンリー8世は自分が離婚したいがために、
ローマカトリックから分離してイギリス国教を成立させ、
ローマの宗教や政治から離れて、自分自身の歩みを始めるんだけど、
理由はともかく、その英断はすごいと思う。
現代のイギリスもEUに加入しながらもユーロを導入しなかったり、
ヨーロッパの中で自分というものをしっかりもっている。
一昨年(?)のアメリカのシリア空爆も、イギリスがすんでの所で回避した。
あれは衝撃的だった。
日本は、当然のようにアメリカを支持していたから余計にイギリスが眩しかった。
もうなんでもアメリカについていく時代は終わったことをイギリスが世界に示した。

世界中どこにしても、血塗られた歴史。
今も、
人を殺したらいけないって、知らない人たちが世界にはいっぱいいるでしょ。
インドには、人間は平等ということを知らない人もいっぱいいる。
その中にいたら、人はわからない。
わかることしかわからない。
大航海時代、初めて黒人を見た白人は、人間とはわからなかったらしい。
もしかしたら人間かも・・・と思った人はいたらしいけど。
きっと見えてないことって色々ある。コワイことです。

ローマ人からギリシャ人に

また何度か寝ちゃったけど、『東ローマ帝国』みおわった。
十字軍なのに、何故ヴェネツィアのことばかりなのかなーと、思ったら、
十字軍遠征の目的は、イスラム勢力から聖地エルサレムを奪還するため、
東ローマ帝国ローマ教皇に救援を依頼し、西ヨーロッパのキリスト教信者たちが志願、遠征をするのだけど、
第4回十字軍遠征で、要請を受け負ったヴェネツィアが、
東ローマ帝国の首都コンスタンティンノープルを陥落してしまった。
ヒィ!!!明智の「敵は本能寺にあり」みたいだ!
コンスタンティンノープルを陥落した兵士たちは3日間の略奪を許された。
無茶苦茶な話だ。
東ローマ帝国は、けっこう金ピカピカでしたから、みんな持って来ちゃったんでしょうね。
それから西ヨーロッパは活気づいて、隆盛を極めるようになる。

ローマはラテン語で庶民は読み書きがほとんどできない。
東ローマは、貧しい人たちも食と教育を受けることが出来た。
なので、十字軍には無法者が多かったことも記されている。
陥落から命からがら逃げて、東ローマの亡命政権を作るのだけど、周りから
「あなたたちはギリシャ人でしょう」と言われる。
ギリシャは征服されローマ人となったのに、
そのローマ帝国のローマ人であることが誇りだったってことなのかな。
それはキリスト教のせいなのか、
ローマ帝国が近代的都市に思えたからか。
それが東ローマが滅亡して初めて
「あっ・・・自分・・・ギリシャ人だった・・・」と思い出したのかな???
欧州というと西欧に目がいってしまうけど、
これからは東欧にも目を向けるようにしよっと!

東ローマ帝国

BBCの『ザ・ローマ 帝国の興亡』をみた。
歴史家監修の元、古代の資料を忠実に再現したドラマだそうですが、いまひとつ・・・ふたつ・・・みっつ・・・
ネロの狂気っぷりは、凄まじかったけど(笑)

続けて、TBSオンデマンドの『東ローマ帝国』をみている。
今十字軍の遠征始まったとこ。丁寧に作ってあるドキュメンタリーで、面白い。
ビサンチン文化に圧倒されながらも、
カメラワークがゆっくりすぎて、
建築、美術を回し続けられると、もう10回以上・・・・・寝落ち。
東ローマ帝国の国民の大半はギリシア系だが自分たちをギリシア人といわずローマ人としていた。
ただ古代ローマ帝国とは領土も文化も違うため、
便宜上『東ローマ帝国』が通称使われる。
歴史上『ビサンツ(ドイツ語)帝国』ということもあるが
建築、美術では『ビサンチン(古代ギリシア語)』
そういうのが、欧州はややこしい。
東ローマ帝国」「ビザンツ帝国」「ギリシア帝国」「中世ローマ帝国」これだけの呼び名がある。
本人たちは、あくまで『ローマ帝国のローマ人』としていたようですけど。

宗教は正教会
これまた「正教会」「ギリシア正教」「東方正教会」と呼び名がいくつかある。
英語でオーソドックス(正当派)チャーチというのだから、
キリスト教正統派・・・ってことなのでしょう。
東ローマ帝国皇帝は、世襲もあったが、実力と運があれば皇帝になることも出来た。
周辺国とも、時には外交、時には軍事力、と柔軟性がある。
これが東ローマ帝国が千年も続いた理由であろう。と。
その後、オスマン帝国によって首都コンスタンティンノープルは陥落する。
東ローマ帝国は滅亡。コンスタンティンノープルはイスタンブールとなり、
これにて中世は終わりは告げる。
オスマン帝国は現在のトルコ。
すごいなーと思うのは、
東ローマ帝国の建築、美術が今も多く残っていること。
トルコは民族が複雑で一時は、
「トルコ国内に住む正教会信者のトルコ語話者はギリシャ人、逆にギリシャ国内に住むイスラム教徒のギリシャ語話者はトルコ人と規定され、国民の交換・・・・・・・・・」
なにがなんだか、むちゃくちゃだなー。
ともかくイスラム教が主のトルコに今も正教会の中心がある。
正教って、全然知らなかったけど、
今でも聖職者は、
朝3時4時に起きて、3,4時間礼拝をして、労働(自給自足)をして、また夕刻の礼拝、そして個人礼拝。
食事はパンと木の実のみ。
食事の時は食欲が増さないように、お祈りが流れ、会話はしない。
崇高で厳格です。
お祈り(聖歌)を聴いていると、不思議とコーランのような響きを感じた。
偶像崇拝を禁じられているため、十字架をネックレスとしてつけるのは、
ここから始まった・・・かな。
私も以前ダイヤのクロスを常につけていたけど、
こういう話を聞くと、遊びでつけられるものではなくなる。
正教会は、偶像崇拝が禁じられ、イコンのみ許されている。
イコンに描くものも、神を描くのは神なので影を描くという意味で、
立体感があってはいけないし、表情もない。
面白いなと思うのは、美術も宗教と共に開花してゆくものらしく、
歴代の皇帝の肖像画を見ていたけど、絵がどんどん下手になってゆく(笑)
古代ギリシャといえば
 
こういう力強さがみなぎっている彫刻を思い浮かべる。


そして東ローマ帝国の建築。(ビサンチン文化)
 
圧倒される美しさ。
それが皇帝の肖像画がこんなんばっかりなのは何故だ・・・
 


東ローマ帝国の存在感を感じさせることば。
ウクライナのイケメン修道士さんが「東ローマ帝国が無ければ、自分たちは無かった」と、
東ローマの歴史を学んでいた。

国を見る時、その国の宗教を見てしまう。
本当は、宗教など関係なければよいのだけど現実問題、
宗教が大きくかかわっているから、宗教抜きでは考えられない。
東ローマ帝国は、今は地図上に亡き国ではあるけど、
今のロシア、ヨーロッパを考えるには、ここを通らねばと感じられる。
思っていた以上の重みです。

儒教

新装版 歴史の交差路にて 日本・中国・朝鮮 (講談社文庫)/司馬 遼太郎
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Amazon.co.jp 司馬『「中華」は、西洋概念における領土思想というより、中国だけが持っている文明主義のことばですね。 文明主義的な版図であることと、ヨーロッパ風の領土思想とは、歴史の性質がひじょうにちがうので、これは近代(清末)になってからたいへんな混乱と相克を生む。』 金『内部的には朝鮮自体が持っている武に対する蔑視、あるいは労働に対する蔑視、商業に対する蔑視、こういうものでがんじがらめになった。 それでまた西学、西洋文化をも夷狄視していたんです。日本が幕末に開港したときに、それを見て朝鮮側は、 日本は西洋と同じ夷狄になったというわけだったんですよ』 世の中は、四方八方に流れていく。 各々が好き勝手に生きると管理しずらい。 儒教というのは、その流れを止めて固体化するもの。 固体化してしまえば、操作しやすいですからね。 高麗が470年、李氏朝鮮が500年続いたのは、国が安定していたのではなく、 それだけ強い中央集権だったからで、改革しようにもすぐ頓挫。そうして近代化に立ち遅れてしまった。 ゲーム三国志をやってみると、 これはもう、やらなきゃやられてしまうわけで。 それも、自分から他の国に攻め込もうもんなら、ハイエナたちが群がってきて自国さえ危うくなる。 なので、他の国が戦争始めたところに乗っかって、漁夫の利作戦。生き残るのは、これしかない。 第一次世界大戦の日本も関係ない所で漁夫の利。 第二次世界大戦のロシアもそう。 どさくさに紛れて、弱そうな所に付け入る。 生き残るためには、どんな大義名分も可能だ。 たとえば、 うちの主人が浮気して離婚したいと言ってきたら、 私は文句も言うかもしれないし、慰謝料を請求するかもしれない。 それでも、主人は慰謝料も払わず、謝りもせず、誠意のひとつもなく出て行ってしまうかもしれない。 不条理です。 でも、 結局私が納得しようがしまいが、 最後は、自分の足で立ってひとりで歩いていくほかない。 不条理だからといって、誰かが手を差し伸べてくれるのを待っていても 死ぬまで誰も助けてくれないことなんて、いくらでもある。 泣きながらでも前を向いて自分で立つほかない。 朝鮮は気の毒だったと思います。 今でも恨む気持ちはあるでしょう。 それも理解したうえで、 いい加減、大人になって欲しい。と、思います。 日本も充分すぎるほどの悲しみを生きる力に転換してここまでやってきた。 哀しくても辛くても、前を向きここまできた。 ギリシャも・・・ がんばれ。

気の毒だなー。

新装版 歴史の交差路にて 日本・中国・朝鮮 (講談社文庫)/司馬 遼太郎
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Amazon.co.jp 読了。 最初にこの本を開いた時、朝鮮半島のことをまったく知らず、 何を語っているのか理解できず、読むことをあきらめた。 なので、一念発起! 『朝鮮半島の歴史』を読んで、再度この本に挑んだ。 1日で読了。読めなかったものが読めるというのはうれしいね〜 今でも半分くらいしか理解出来てないけど(笑) それでもどんな話しも楽しくて楽しくて♪ 在日朝鮮人金達寿氏、在日中国人の陳舜臣氏、在日日本人の司馬遼太郎氏の三者による 日本中国朝鮮の歴史文化を考察。 という堅苦しいものでなく、おじさんたちの雑談(笑) 『古代から歴史的にみると、朝鮮は中国と日本とにはさまれて今までずいぶんとひどいめにあってきたのですが、今日はその日・中の両碩学(セキガク)にはさまれて、ぼくはひどいめにあうんじゃないかと覚悟してきたんです(笑)』 少しだけ年長の金氏がこう切り出して、対談は始まる。 金氏が1919年生まれ、司馬氏が1923年、陳氏が1924年。 中国人、朝鮮人、日本人が胸襟開いて語り合えるというのは、素敵です。 政府間、歴史感情はややこしいけど、 目の前にいる個人とはまったく別の次元でお付き合いができる。 そんなところから、いずれ国を変える原動が生まれるのかも。 もう朝鮮半島飽きたーって思っていたけど、もっと知りたくなる。 この本を読んで新たに感じたこともあるし。 ひとには、民族主義というのがつきものだ。 米原真理の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の中で、 内戦が続くベネズエラから来た少年ホセが 「帰国したら、父ともども僕らは銃殺されるかもしれない。それでも帰りたい。」ともらす。 3か月後、プラハを引き上げでいったホセとホセの家族が処刑されたとのニュースが届いた。 たとえ、どんな祖国でも誰にとっても祖国は特別なもの。 祖国を愛する気持ちは誰の胸にも宿っている。 そして、 自分たちの民族が主体となり、自分たちこそが至上であると。 そんな民族主義愛国主義、至上主義に罪はないが、 自分たちの主義を押し通すことで起きる摩擦や悲劇を知っている者は、自分たちへの肯定もするが、否定もする。 たとえどれだけ人間(民族)が優秀であろうと、人間(民族)は間違えを犯すものだと。 民族主義は人として当然あっても、同等に自己反省もあってしかるべし。 それを日本人は自虐と感じることもあるけれど、自己否定は自己肯定と共に必要と思う。 日清日露、どちらにしても、 朝鮮半島は日本、中国、ロシアのかけひきに使われ、 日本の保護下に置かれることとなる。 高宗は保護条約の無効を万国平和会議に訴えようと密使を送ったが、大韓帝国の外交権が日本にあることで参加を拒否される。 事の次第を知った日本側はこれを口実に、大韓帝国の外交権だけでなく内政権をも日本の統括とした。 そうして韓国の主権は形骸化し、日韓併合となる。 日本人なら密使は、会議場前で切腹すると思う。 武士なら腹を切って、自分のはらわた掴みだして投げつける勢いではなかろうか。 国の存続がかかっているのだから、生きて帰ることなど出来ない。 私にはわからないけど、 帝国となるか植民地となるか。そんな時代には、日本のこの不平等な条約を合法といえたのだろうか。 世界のどこかの誰かが、憐れむ気持ちはなかったのだろうか。 万国平和会議といったところで、出席は帝国側のみであろうし、ことはアジアの弱小国。 かかわっても何の得にもならない。が、正直なところでしょ。 日本もどうかと思うけど、これがその時代の常識で感覚であったということなのだと思う。 もし、ここで1つでも覆っていたら、 私は今頃中国語を話していたか、ロシア語を話していたか、そもそも存在もしないか。 やらなければ、やられてしまう。 攻めるほかなかったというのが、日本の立ち位置だったのだろうけど。 世界の覇権争いの中で、大韓帝国はまさに八方塞がりにみえる。 日清戦争では、日本にも清国にも手を引いてくれと頼んだのに、朝鮮の地で戦争勃発してしまうし。 日露戦争では、中立宣言をしていたのに、武力で日本の補給基地にされてしまう。 大韓帝国はいったいどうすればこの難から逃れることが出来たのか。 弱小国の運命だとあきらめて、日本にくだるほかなかったんかな。 清が・・・本来は清がなんとしてでも守ってあげなきゃいけない立場だったのに、 清もそれどころか、日露戦争は清の領土でやっているし、 戦後処理は、日本とロシアで清の領土を取り合っているし、清はもう勝手にやってくれ!な感じで。 取ったもん勝ちが当時の国際ルールだったのね。 まだまだ野蛮な時代。紀元前と変わりない。そういうことなんだろうなーと、溜息ついています。

大韓帝国

 歴史物語 朝鮮半島 (朝日選書)/姜 在彦
¥1,404
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ヤッター!読了!
最後は、
『朝鮮の歴史は1920年8月22日をもって日本史のなかに組み込まれ、地図のうえから消え去った。本書はその韓国併合の日をもって擱筆したい。
それにつづく日本の植民地支配については、朝日文庫の拙著「日本による朝鮮支配の40年」を参照していただければ幸いである。』
ヒィ〜〜〜〜〜〜〜〜
衝撃的な終わり方。
これで終わりになんて出来ないけど、
さすがに少し疲れたので、朝鮮半島の歴史はいったん終了。
ここから先は、いずれ改めて読むことにする。

『併合』について、
『韓国ガ全然廃滅ニ帰シテ帝国ノ領土ノ一部トナルノ意ヲ明カニスルト同時ニ、
其語調ノ余リ過激ナラザル文字ヲ選マント欲シ、うんぬん、うんぬん・・・』
と、外務省政治局長が書き記している。
韓国を日本の支配下におくに於いてあまり過激な言葉にならないように考えたが、
見合う言葉がないので『併合』という造語を作った。
ということを述べている。
コトバを緩衝剤にはしたが、
併合条約第一条が
『韓国皇帝殿下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝殿下ニ譲与ス。』
なんでこんなことになってしまったんだか・・・
日清戦争のきっかけとなった東学党の乱。
東学の思想は、人間の尊厳と平等。
それは儒教の教えと相入れないもので王朝体制を揺るがす危険な思想であった。
賄賂や不正収奪といった政府の暴政に対し、民衆の不満が暴発した。
各地で農民が立ち上がり、政府軍次々を破っていった。
慌てた朝鮮政府は、清に出兵を求めた。
そして天津条約により、清が出兵すると同時に日本も朝鮮に出兵した。
天津条約とは、甲甲政変により結ばれた。
甲甲政変とは、
朝鮮の近代的改革のモデルを清国式(守旧派)にするか、日本式(開化派)にするかの対立により起こったクーデター。
日本式は、明治維新のように国を根本から変え西洋を取り入れる。
清国式は、中国の伝統を礎に国の形を変えず西洋を取り入れる。
でも、この対立の根っこには、清に対するスタンスがある。
開化派は、清国との宗属関係からの独立を主張。
守旧派は、清国との宗属関係を肯定し、時には清の権威を借りながらの内政改革を主張。
このクーデターは、開化派政権の3日天下で終わった・・・
袁世凱が率いる清軍の武力介入により新政権は壊滅した。
そして、朝鮮に拘泥するのは双方の為にならないと、日本と清との間で天津条約が結ばれた。
朝鮮に軍事介入はしない。もしする場合には双方通達すること。
これにより、東学党の乱で朝鮮政府が清へ出兵したことで、
頼まれてもいない日本まで朝鮮へ出兵することとなる。
朝鮮政府自身が、日本軍の介入のきっかけを作ってしまったのだ。
こりゃいけないと思って、
朝鮮政府は、東学党と和約を結び乱をおさめ、日清両軍の撤退を求めたが、
両国は受け入れず対峙を続け、日清戦争へ突入することとなる。
日清戦争は日本の勝利で終わり、下関条約が結ばれ、朝鮮は自主国であることを
清国に認めさせ、大韓帝国となる。
大韓帝国は、清の敗北を見て、清国式改革の限界を知り、日本式改革をとらざるえなくなる。
下関条約のあと、ロシアによる三国干渉が起きる。
これには、親日派に批判的な守旧派のロシアへの接近があり、
日本勢力の阻止という意図があったと思われる。
そして韓国と満州の利権争いから日露戦争勃発。
日本が勝利をおさめる。
日本がロシアに勝ったのは、ロシアが力をつけることを懸念するアメリカやイギリスの牽制もあった。
日本がロシアに勝った。『有色人種の小国が白人の大国に勝ったという前例のない事実』
このことがひとびとに与えた影響は大きい。
日本国内では賠償金が取れなかったことで、各地で民衆の暴動が起こった。
日本軍は強いと煽られ、アメリカの仲介で辛勝した事実を国民は知らなかったことで、
アメリカ公使館などをも襲撃し、アメリカの対日、対米感情の悪化を招くこととなった。
ロシアは極東をあきらめ、西へ目を向ける。これが第一次世界大戦へとなってゆく。
あららら、日本に目がいってしまい、朝鮮半島のこと忘れていた(笑)
とりあえず、ここまで。