李陵・山月記
李陵・山月記 (新潮文庫)/中島 敦
THE TUDORS 〜背徳の王冠〜
THE TUDORS 〜背徳の王冠〜を見始めた。
イギリス、ヘンリー8世の物語。
以前読んだ阿刀田高の『シェイクスピアを楽しむために』の中に、
この辺りのことに触れていたのを思い出して、ページを手繰ってみた。
『まったくの話、このあたりの三百年間、イギリスでは、いま述べた大憲章(マグナ・カルタのこと)の成立やイギリス議会の誕生のほか、十字軍の派遣、ウェールズ戦争、百年戦争、黒死病の流行、ワット・タイラーの一揆、宗教問題、薔薇戦争などなどヨーロッパ史を賑わす出来事がたくさん起きているのだが、シェイクスピアの筆は、むしろそういう事件をドラマの背景に置きながら王位を中心に争いあい、裏切りあい、謀殺を敢行する人間たちのドラマの方へ向いている。確かに大憲章より暗殺劇のほうがおもしろい。』
エリザベス一世(ヘンリー8世の娘)の映画は2作ほどみている。
面白くはあるけど、のめり込むってほどのものはない。
アーサー王物語は、ロマンと冒険で好き。
中世のヨーロッパってイメージ♪
シェイクスピアもこのドラマもヘンリー8世を描いたけど、なんでだろう。
まったく魅力を感じない。
ローマカトリックでは離婚が許されていない。
ヘンリー8世は自分が離婚したいがために、
ローマカトリックから分離してイギリス国教を成立させ、
ローマの宗教や政治から離れて、自分自身の歩みを始めるんだけど、
理由はともかく、その英断はすごいと思う。
現代のイギリスもEUに加入しながらもユーロを導入しなかったり、
ヨーロッパの中で自分というものをしっかりもっている。
一昨年(?)のアメリカのシリア空爆も、イギリスがすんでの所で回避した。
あれは衝撃的だった。
日本は、当然のようにアメリカを支持していたから余計にイギリスが眩しかった。
もうなんでもアメリカについていく時代は終わったことをイギリスが世界に示した。
世界中どこにしても、血塗られた歴史。
今も、
人を殺したらいけないって、知らない人たちが世界にはいっぱいいるでしょ。
インドには、人間は平等ということを知らない人もいっぱいいる。
その中にいたら、人はわからない。
わかることしかわからない。
大航海時代、初めて黒人を見た白人は、人間とはわからなかったらしい。
もしかしたら人間かも・・・と思った人はいたらしいけど。
きっと見えてないことって色々ある。コワイことです。
ローマ人からギリシャ人に
また何度か寝ちゃったけど、『東ローマ帝国』みおわった。
十字軍なのに、何故ヴェネツィアのことばかりなのかなーと、思ったら、
十字軍遠征の目的は、イスラム勢力から聖地エルサレムを奪還するため、
東ローマ帝国がローマ教皇に救援を依頼し、西ヨーロッパのキリスト教信者たちが志願、遠征をするのだけど、
第4回十字軍遠征で、要請を受け負ったヴェネツィアが、
東ローマ帝国の首都コンスタンティンノープルを陥落してしまった。
ヒィ!!!明智の「敵は本能寺にあり」みたいだ!
コンスタンティンノープルを陥落した兵士たちは3日間の略奪を許された。
無茶苦茶な話だ。
東ローマ帝国は、けっこう金ピカピカでしたから、みんな持って来ちゃったんでしょうね。
それから西ヨーロッパは活気づいて、隆盛を極めるようになる。
ローマはラテン語で庶民は読み書きがほとんどできない。
東ローマは、貧しい人たちも食と教育を受けることが出来た。
なので、十字軍には無法者が多かったことも記されている。
陥落から命からがら逃げて、東ローマの亡命政権を作るのだけど、周りから
「あなたたちはギリシャ人でしょう」と言われる。
ギリシャは征服されローマ人となったのに、
そのローマ帝国のローマ人であることが誇りだったってことなのかな。
それはキリスト教のせいなのか、
ローマ帝国が近代的都市に思えたからか。
それが東ローマが滅亡して初めて
「あっ・・・自分・・・ギリシャ人だった・・・」と思い出したのかな???
欧州というと西欧に目がいってしまうけど、
これからは東欧にも目を向けるようにしよっと!
東ローマ帝国
BBCの『ザ・ローマ 帝国の興亡』をみた。
歴史家監修の元、古代の資料を忠実に再現したドラマだそうですが、いまひとつ・・・ふたつ・・・みっつ・・・
ネロの狂気っぷりは、凄まじかったけど(笑)
続けて、TBSオンデマンドの『東ローマ帝国』をみている。
今十字軍の遠征始まったとこ。丁寧に作ってあるドキュメンタリーで、面白い。
ビサンチン文化に圧倒されながらも、
カメラワークがゆっくりすぎて、
建築、美術を回し続けられると、もう10回以上・・・・・寝落ち。
東ローマ帝国の国民の大半はギリシア系だが自分たちをギリシア人といわずローマ人としていた。
ただ古代ローマ帝国とは領土も文化も違うため、
便宜上『東ローマ帝国』が通称使われる。
歴史上『ビサンツ(ドイツ語)帝国』ということもあるが
建築、美術では『ビサンチン(古代ギリシア語)』
そういうのが、欧州はややこしい。
「東ローマ帝国」「ビザンツ帝国」「ギリシア帝国」「中世ローマ帝国」これだけの呼び名がある。
本人たちは、あくまで『ローマ帝国のローマ人』としていたようですけど。
宗教は正教会。
これまた「正教会」「ギリシア正教」「東方正教会」と呼び名がいくつかある。
英語でオーソドックス(正当派)チャーチというのだから、
キリスト教正統派・・・ってことなのでしょう。
東ローマ帝国皇帝は、世襲もあったが、実力と運があれば皇帝になることも出来た。
周辺国とも、時には外交、時には軍事力、と柔軟性がある。
これが東ローマ帝国が千年も続いた理由であろう。と。
その後、オスマン帝国によって首都コンスタンティンノープルは陥落する。
東ローマ帝国は滅亡。コンスタンティンノープルはイスタンブールとなり、
これにて中世は終わりは告げる。
オスマン帝国は現在のトルコ。
すごいなーと思うのは、
東ローマ帝国の建築、美術が今も多く残っていること。
トルコは民族が複雑で一時は、
「トルコ国内に住む正教会信者のトルコ語話者はギリシャ人、逆にギリシャ国内に住むイスラム教徒のギリシャ語話者はトルコ人と規定され、国民の交換・・・・・・・・・」
なにがなんだか、むちゃくちゃだなー。
ともかくイスラム教が主のトルコに今も正教会の中心がある。
正教って、全然知らなかったけど、
今でも聖職者は、
朝3時4時に起きて、3,4時間礼拝をして、労働(自給自足)をして、また夕刻の礼拝、そして個人礼拝。
食事はパンと木の実のみ。
食事の時は食欲が増さないように、お祈りが流れ、会話はしない。
崇高で厳格です。
お祈り(聖歌)を聴いていると、不思議とコーランのような響きを感じた。
偶像崇拝を禁じられているため、十字架をネックレスとしてつけるのは、
ここから始まった・・・かな。
私も以前ダイヤのクロスを常につけていたけど、
こういう話を聞くと、遊びでつけられるものではなくなる。
正教会は、偶像崇拝が禁じられ、イコンのみ許されている。
イコンに描くものも、神を描くのは神なので影を描くという意味で、
立体感があってはいけないし、表情もない。
面白いなと思うのは、美術も宗教と共に開花してゆくものらしく、
歴代の皇帝の肖像画を見ていたけど、絵がどんどん下手になってゆく(笑)
古代ギリシャといえば
こういう力強さがみなぎっている彫刻を思い浮かべる。
そして東ローマ帝国の建築。(ビサンチン文化)
圧倒される美しさ。
それが皇帝の肖像画がこんなんばっかりなのは何故だ・・・
東ローマ帝国の存在感を感じさせることば。
ウクライナのイケメン修道士さんが「東ローマ帝国が無ければ、自分たちは無かった」と、
東ローマの歴史を学んでいた。
国を見る時、その国の宗教を見てしまう。
本当は、宗教など関係なければよいのだけど現実問題、
宗教が大きくかかわっているから、宗教抜きでは考えられない。
東ローマ帝国は、今は地図上に亡き国ではあるけど、
今のロシア、ヨーロッパを考えるには、ここを通らねばと感じられる。
思っていた以上の重みです。
儒教
気の毒だなー。
大韓帝国
ヤッター!読了!
最後は、
『朝鮮の歴史は1920年8月22日をもって日本史のなかに組み込まれ、地図のうえから消え去った。本書はその韓国併合の日をもって擱筆したい。
それにつづく日本の植民地支配については、朝日文庫の拙著「日本による朝鮮支配の40年」を参照していただければ幸いである。』
ヒィ〜〜〜〜〜〜〜〜
衝撃的な終わり方。
これで終わりになんて出来ないけど、
さすがに少し疲れたので、朝鮮半島の歴史はいったん終了。
ここから先は、いずれ改めて読むことにする。
『併合』について、
『韓国ガ全然廃滅ニ帰シテ帝国ノ領土ノ一部トナルノ意ヲ明カニスルト同時ニ、
其語調ノ余リ過激ナラザル文字ヲ選マント欲シ、うんぬん、うんぬん・・・』
と、外務省政治局長が書き記している。
韓国を日本の支配下におくに於いてあまり過激な言葉にならないように考えたが、
見合う言葉がないので『併合』という造語を作った。ということを述べている。
コトバを緩衝剤にはしたが、
併合条約第一条が
『韓国皇帝殿下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝殿下ニ譲与ス。』
なんでこんなことになってしまったんだか・・・
日清戦争のきっかけとなった東学党の乱。
東学の思想は、人間の尊厳と平等。
それは儒教の教えと相入れないもので王朝体制を揺るがす危険な思想であった。
賄賂や不正収奪といった政府の暴政に対し、民衆の不満が暴発した。
各地で農民が立ち上がり、政府軍次々を破っていった。
慌てた朝鮮政府は、清に出兵を求めた。
そして天津条約により、清が出兵すると同時に日本も朝鮮に出兵した。
天津条約とは、甲甲政変により結ばれた。
甲甲政変とは、
朝鮮の近代的改革のモデルを清国式(守旧派)にするか、日本式(開化派)にするかの対立により起こったクーデター。
日本式は、明治維新のように国を根本から変え西洋を取り入れる。
清国式は、中国の伝統を礎に国の形を変えず西洋を取り入れる。
でも、この対立の根っこには、清に対するスタンスがある。
開化派は、清国との宗属関係からの独立を主張。
守旧派は、清国との宗属関係を肯定し、時には清の権威を借りながらの内政改革を主張。
このクーデターは、開化派政権の3日天下で終わった・・・
袁世凱が率いる清軍の武力介入により新政権は壊滅した。
そして、朝鮮に拘泥するのは双方の為にならないと、日本と清との間で天津条約が結ばれた。
朝鮮に軍事介入はしない。もしする場合には双方通達すること。
これにより、東学党の乱で朝鮮政府が清へ出兵したことで、
頼まれてもいない日本まで朝鮮へ出兵することとなる。
朝鮮政府自身が、日本軍の介入のきっかけを作ってしまったのだ。
こりゃいけないと思って、
朝鮮政府は、東学党と和約を結び乱をおさめ、日清両軍の撤退を求めたが、
両国は受け入れず対峙を続け、日清戦争へ突入することとなる。
日清戦争は日本の勝利で終わり、下関条約が結ばれ、朝鮮は自主国であることを
清国に認めさせ、大韓帝国となる。
大韓帝国は、清の敗北を見て、清国式改革の限界を知り、日本式改革をとらざるえなくなる。
下関条約のあと、ロシアによる三国干渉が起きる。
これには、親日派に批判的な守旧派のロシアへの接近があり、
日本勢力の阻止という意図があったと思われる。
そして韓国と満州の利権争いから日露戦争勃発。
日本が勝利をおさめる。
日本がロシアに勝ったのは、ロシアが力をつけることを懸念するアメリカやイギリスの牽制もあった。
日本がロシアに勝った。『有色人種の小国が白人の大国に勝ったという前例のない事実』
このことがひとびとに与えた影響は大きい。
日本国内では賠償金が取れなかったことで、各地で民衆の暴動が起こった。
日本軍は強いと煽られ、アメリカの仲介で辛勝した事実を国民は知らなかったことで、
アメリカ公使館などをも襲撃し、アメリカの対日、対米感情の悪化を招くこととなった。
ロシアは極東をあきらめ、西へ目を向ける。これが第一次世界大戦へとなってゆく。
あららら、日本に目がいってしまい、朝鮮半島のこと忘れていた(笑)
とりあえず、ここまで。