密命
井沢元彦の逆説の日本史。別巻4ニッポンの戦乱史。
井沢元彦の説が、歴史の真実か、単なる推理の飛躍かは、わからないけど、ワクワクが止まらない。
確かに徳川はすでに力が無く、時勢は、新しい時代を求めていて、その勢いはもはや止めること出来なかったかもしれない、
それでも倒幕派5000に対し幕府側は15000。
この状態で、将軍がひとり敵前逃亡するなど、考えられない。
300年続いた徳川の命運がかかったこの時に慶喜は黙ってひとり逃げた!
敵より味方の方が驚いたに違いない。
でも将軍慶喜にしてみれば、もはや勝ち負けではない。
自分が朝敵になってしまったこと。
それが全てだった。
それだけは、あってはならない。
たとえ徳川が滅びようと…
水戸徳川は、尊王の意識の強い藩。
私は、そのことを納得していても、どこかに不自然さを感じていた。
たとえ漢学の影響だとしても、どうして水戸徳川だけが、何故これほどまでに天皇崇拝の意識が強いのかと。
そこが、今回この本を読んで解明された。
これは、将軍家の跡継ぎが途絶えた時には、この御三家から継いで、徳川家を絶やさない為の家康の保険。
そして、もうひとつの保険を家康はかけていたのではないかと、井沢元彦は推測する。
それは万が一、他の藩と朝廷が結びついて徳川が滅びることがあっても、
水戸徳川だけは、生き残れるように、
水戸徳川の主人はあくまでも天皇家であると。
これが家康のリスクヘッジ。
こういう直伝が家康からあったのではないかと。
だから、家康の考えでは、
そういう計算があったはず。
なるほど藩を敵と味方に二分するのは、 真田の戦法で、織田や豊臣が滅びゆくのを見てきた家康が、
なんの策も弄さないわけがない。
なんの策も弄さないわけがない。
だから、水戸徳川は家訓として、勤皇家であったわけだ。
主君は、将軍家より、天皇!
すべて家康の布石。
それが、慶喜が一橋家に養子にいってしまったことで、
本来将軍になるはずがない、なるはずもない、なってはいけない慶喜が一橋から将軍になるという禁じ手を打ってしまい徳川the endとなったわけだ。
ここでようやく思い出した。
なにかで読んだ気がする。
水戸徳川は御三家の中でも将軍にはなれないお家柄。
そういう意味で格が少し下がるイメージ。
ただし水戸のご老公様のように、副将軍として、他の徳川家とは別の存在、ご意見番、別の力をもっているようなことを、昔々に読んだ記憶がある。
その時は、将軍になれない徳川家に違和感はあったし、いったい何がどうした位置づけなんだろうか。と、さっぱりわからず、お家にはややこしい事情があるのだろうと、深く考えもしなかった。
幕府は異常事態時に将軍にしてはいけない人を将軍にしてしまった。
それは、吉宗が家康の真似して御三卿を作ったことで、間違いがおきた。
吉宗だってよもや自分が原因で徳川が潰れることになるとは思ってもみなかったでしょう。
ただ、繁栄もいつか必ず終わる。
見る方向を変えれば、これでよかったと、言えるのかもしれない。
水戸藩には、優秀な人材が多数いた。
でも熱くて優秀であることで、幕末混乱期に皆殺されてしまった。
その心情を思うと気の毒すぎて胸が締め付けられる思いです。