旧ユーゴスラビア
興奮しながら一気に読んだ。
これほど興奮した本は久しぶり。
小説かと思っていたら、
これは、マリ(米原万理)が小中学生時代を過ごしたプラハ・ソビエト学校での級友3人を、
激動の30年を経て探しに行くというノンフィクション。
東欧のこの30年間は激動という言葉では言い表せないほど、
天と地がひっくり返るような歳月だったのだろうと、本当に陳腐な推測しか及ばない自分が悲しい。
30年間音信普通だった友人に再会できるのか。
東欧は遠い。
距離だけでなく、社会主義の国々という点で遥か遠く感じてきた。
でも、自分が目を向けないから遠く感じてきたのだと、ものすごく残念に思う。
行ってみたいなー。
これを読む前に、
これを読んだのが、グッドタイミングだった。
この本のラストの18章には旧ユーゴ紛争のことが書かれてある。
漠然と読んでいても位置がわからないのでちっとも頭に入らない。
なので、もう1冊こちらも広げて書き込みをしながら、
位置がわかれば、スッと頭に入ってくる。
もうスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ、マケドニア
名称、位置関係は憶えた。
ビジュアルって大事ですね。
旧ユーゴスラビアは
『一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族、六つの共和国、七つの国境線』と、
言い表せるそうで、それほど複雑に絡み合っている。
ユーゴスラビア語というのはなく、自分をユーゴスラビア人と意識している人も少ない。
日本でいえば、日本語はなく、自分が日本人と思っている人も少数ということ。
国家運営が難しいわけだ。
ユーゴとしてでなく、それぞれにアイデンティティーを持った人たちが1つの国家を形成してきた。
そして国は、社会主義にも資本主義にも属さない『社会主義非同盟中立路線』を歩む。
そのためにソ連と対立。
ソ連がいつ攻めてくるかもわからないので、
高校生になると、軍事訓練をし、自宅に銃を保管させる。
大国ソ連に対する恐怖から民族、宗教、言語を超えてユーゴは団結していた。
が、ソ連崩壊と共にそのタガが外れた。
ソ連に対する不安がなくなると、今度は国内の民族感情、宗教感情の対立が起こり、
国民意識がバラバラになった。
それまでの共産党一党独裁から民族政党が乱立することになり、まとまりが失われ、
国内紛争の戦火激しくし、ユーゴスラビアほぼ全域で内戦が起こってしまった。
目の上のたんこぶがいなくなったばかりに統一が失われるという新たな局面を生み出してしまった。
1つの問題解決が新たなる問題を作るのは世の常で、
だから中国は、なんとしてでも敵国日本を作り続けないといけないのでしょうね。
そのことで中国国民の連帯感は高まる。
そのためには、やはり報道は規制しなければいけないでしょうし、
余計なこと言う者は排除しなければならない。
そうして中国国民の意識を1つにすることが、中国の発展に繋がる、と。
ところで、
第二部を途中までしか読んでいないことに気がついた。
あらららら。
世界が平和になりますように。。。
と思っても、あまりに世界が平和とかけ離れていて、虚しくなってしまう。
今は自分の心の中に平和な時間を作るくらいしか出来ない。