ドンマイ

先日、ソフトバンクからメールが着て、うちの携帯の使用料が高額になっているという。
いったい何ごとかと調べてみると、
主人が海外でネットに繋いだ分が、パケット定額外になるらしい。
それにしても数日で8万円超えって。ガラケーなのに。
主人もそのことを知らなかったし、私だって知らなかった。
普段からヤフーのニュースを見るとか、メールとか、その程度で、動画とかみてるわけでもないし、
なにせガラケーですし。
毎月たいして使っていないのは毎月のパケットを見ればわかる。
使ったのだから払いますけど、どう考えても正当な金額とは思えない。
世界にはこうして荒稼ぎする人たちがいるのでしょうね、自己責任という名の元に正当化されて。
海外でネットに繋いだ際、注意勧告のメッセージが出るだけで、こういうことは防げる。
請求者はソフトバンクだけど、
ソフトバンクも他からの請求の肩代わりなんだと思うけど、
結果的にはソフトバンクも片棒を担いでいるのと一緒だと思う。
マージンが入らないわけでもないでしょ。一銭でももらっていたら、無関係とはいかない。
そういえば、主人は海外出張では今までは携帯レンタルしてたみたい。
たいした金額ではないらしいから、それがいいね。
8万ならちょうど私の1ヶ月のバイト代。
自分の労力を考えると、支払うことに納得は出来ない。払うけど。
主人に対しては、「そういうことみたいよ。払っとくね。」で終了。
余計に何か言って傷つけるいやだし。
それじゃなくてもへこむことなのに、夫婦間で余計へこんでしまうのはバカらしい。
お互い悪いことをしたわけではないし、知らなかっただけだもの。
私「払っとくね」
って、出所は主人のお給料なんだから、私が上から目線で言うことじゃないんだけど、
まあ、そこは、主婦の特権ってことで(笑)
「知らなかったよ」というから
「私も(笑)」で終了。
気分の悪いことは、流す他ない。
世の中には、法の抜け穴がいっぱいある。
法なんて人間が作ったものだもの、抜け穴が必ずある。
抜け穴で生きている人間と同じ土俵には立ちたくない。負けでいいです。
シュシュポスの神話だなー。
人は、自分の持っているものの重さにより転落する。それを一生くり返す。

人間は、ある日突然この世に放り出され、
ある時は右に行け
またある時は左が正しいと。
ある時は急げと言われ、
またある時は急ぐことだけが良いわけではないと言われ。
社会という名の定義のないルールをその都度押し付けられる。
鳥インフルエンザ発生するたびに、鳥たちは殺される(処分される)
それは鳥を守る為という確かな名目があることはわかる。
でも名目があれば、死も致し方ないというルールを各々が持ち出して、
歴史は散々戦争、殺戮を繰りかえしてきた。
名目や理屈なんて、突き詰めると結局とんでも無い所へ行ってしまう。
鳥だって命ある身。処分という言い方はなんとかならないものかな。

この世は、死への道中に過ぎない・・・
目的も使命も本当は何も無い。
時が流れていくことに意味がないように。
でも、この世を生きていくには、意味づけして自らを鼓舞しないとやりきれないから
頭で理屈を作り出し自分を納得させる。
理屈をこねくり回さなきゃ出来ないこととは、
本当はたいしたことではないのだとも思うけど。
人が息をすることに、いちいち意味づけ考える人はいない。
時が流れるのも、人を愛するのも、
本当に大切なことに、理屈はない。

親は子供に幸せになって欲しいと願う。
それはこの世が幸せではないと親は知っているからだ。
なんの憂いもなく毎日が幸せです♪という人がこの世界にどれほどいるのか。
何かしら背負い、苦しく厳しい毎日を、なんとか必死にやりくりしている人がほとんど。
アダムとイヴの世界なら、誰も幸せなど願いはしない。
不幸せもない代わりに幸せもないのだろうけど。
変な言い方だけど、
幸せなんてものは悲しみと共にしか存在しないように思う。
悲しくて、つらい毎日の中に瞬間的に感じる喜び、幸福感。
たいがいそんなもんなんじゃないかな。
涙と共に生きる人間に与えられるんだと思う、幸せは。
愛だって、出会った瞬間に別れもセットでついてくる。
どんな形にせよ、人の命に終わりがある以上、いつかは別れなければならない。
別れを伴わない出会いはない。

今回の落とし穴。
私のバイト代1か月分かと思うと愕然とするけど、ドンマイって感じ。
人生には数々の落とし穴がある。
大抵、みんなどこかで落ちたり、這い上がったり。
ふてくされる必要も無いし、
こだわる必要も無い。
不条理だとしても、落とし穴だから、ドンマイ(笑)
1つ上手に飛び越えたと喜んでも、すぐ次のもっと大きな穴に落ちたり。
マリオみたいだね。
段々ジャンプも上手くなって、敵を避けるのも上手くなったつもりでも、
ステージごとにラスボスいるし
人生の最後には『死』という絶対無敵のラスボスがいる。
それがわかっていて、そこに向かうしかないのだから、
人生は最初から悲しいものともいえる・・・
誰もが悲しい存在である。

ホント
人生はドンマイです。多分(笑)
シュシュポスを見てごらん。
大きな岩を山頂まであと一息。
という所まで担いで運ぶと、必ず岩は麓まで転げ落ちる。
それでもシュシュポスはまた1から岩をもって山を登る。
人は、自分が手にしていないものでは、落ちない。
恋人にふられて悲しいのは恋人がいるから。
子供が非行に走って悲しいのは子供がいるから。
でも、恋人がいなかったほうが良かったかといえば、それは違う。
子供なんていない方が良いかといえば、それも違う。
うちが8万モノ携帯請求が来たのも携帯をもっているから。
携帯が無い方がいいかといえば、
それも違う。
転がり落ちることがわかっていても、シュシュポスのように
大きな岩を運ぶしかない。
だからドンマイ!
いっときは落ち込んだ私ももう立ち直った。
そしてまた1から岩を運びます。そこに意味は無い。