ヒューマニスト


私は、堀江貴文という人は、

ギフテッドっぽいと思っている。

ギフテッドまではいかないとしても、ある種天才的な能力をもっているでしょう。

たとえば能力は、

目の見えない人が音に素晴らしい感性をもっていたり、

他者と意思疎通の難しい人が、素晴らしい絵を描いたり。

人には視力、聴力、知力、感性など様々な能力があって、

能力を円グラフにすると、能力の配分は人それぞれで、

それが性格というものを作ったり、特技となったりしていると思うのだけど。

ある能力が飛び抜けて良ければ天才(ギフテッド)といわれ、

社会生活を営むのに難しければ病気といわれ、

社会規則を守る能力に欠けていれば犯罪者となり、

全体に平均的だと一般人(凡人)ということでしょ。

天才も病気もその種の犯罪者もそれぞれはっきりした区分があるわけでも、特別なものがあるわけでもなく、

社会的営みを基準にしての、率(配分)の違いで、

天才的な犯罪者、病的な芸術家、など、何かに秀でている分、何かが欠けてたりで、

そんな風に脳に1つの円グラフを描いていると思っている。

アインシュタインは物理学では天才だけど、

読字障害、記憶障害があったり、息子さんが精神病院で亡くなったことを思うと、

能力のバランスが極端で、

太宰治は当たり前の人の感情がわからずに苦しんでいた。

人のことはわからなくても自分の敏感すぎるほど敏感な感受性によって、

常に不安で、猜疑心にとらわれて、劣等感と優越感のコントロールが出来なかったのが

天才的な部分と病的な部分で、

モーツァルトもそう。

出来ること、出来ないことの能力、あるいは気分が両極端。

ビリージョエルは共感覚があるというけど、

共感覚とは、聴覚と視覚がくっついちゃったものではないかな?という感じがする。

普通はそれぞれが別個だけど、回線が一緒になっちゃったような。

堀江貴文は理論的で非常に頭がいいと思う。理路整然としてわかりやすい。

大局でモノを見る力は抜群と思うけど、

相手の感情に対しての、遠慮がない。

自分の感覚と他者の感覚の違いに配慮したり、相手の価値観を受け入れることが出来ない。

で、人の神経を逆撫でするようなことを言ってしまう。

思ったことは、自分が正しいと思えば、なんでも口にしてしまう。

言わないでいいこと(余計なひとこと)って私はあると思うのだけど、

多分、彼には無いでしょ。「何を言ったっていいじゃん。」って。

理論的にいえば、何を言っても、何をしても自由。

人を殺すのも、死刑になることを受け入れさえすれば自由ってことになる。

頭の中が理論で構築されていて、人の感情の部分の計算が抜け落ちてないかな。

彼がなんで有罪になったかというと、

ただ単に、

ライブドアは潰しておいた方がいいって思った人が社会に多くいたからでしょ。

世の中を動かしているのは『空気』であって、真実かどうかなんて、世間には無い。

民主主義ってそういうもの。

民のレベルが国家に反映される。

面白いよね、

世評ほどアテにならないものはないけど、世評ほど世の中を動かしてしまうものもない。

堀江貴文の天才であり、病的であり、犯罪者でありの、

犯罪者の部分だけ取り出してクローズアップされた。

誰だって、ほじくり出せば罪の1つや2つはあるという程度のことでしょ。あの事件は。

でも、彼はなんで自分が嫌われるかがわかっていないと思う。

そんなこと理論で考えたって、わからない。

ネット上はワンクッションあるから好かれても、

現実の世界では側近だった宮内には、結局は裏切られていたわけで。

一番近くの人間でも、理論やお金でしか結びついていないから利害関係で相反すると、ああなってしまう。

あの人はいくら上にたっても、家康と本多正信のような信頼関係は築けない。

人もアイテムなとこあるから。

家康と本多正信は利害が相反しても尚、変わらず相手を思う気持ち、情の部分にブレがない。

家康の寝室に帯刀で入れたのは正信だけ。

何度か相対して戦ったこともある相手なのに、そういうことが出来るのがすごい。

ブレーンって大事に思う。

でもね、彼は嘘をつく人ではないと思う。

やったことはやった。やってないことはやってないと言う人でしょ。

自分に自信があるから嘘をつく必要がないし、

だから「潔く認めないから悪質」という判決は滑稽で、彼は自分のやったことが合法だと信じきってる。

情のないことをすれば情のないことをやり返されたのだなと思った。相手も人間ですから。

裁判長が、過去の判例や事実のみをインプットされたロボットだったら無罪だったでしょうね。

女性は、男性の話の内容や実績より、心の機微をけっこう見ていると思う。

女性は、傷つけられることを極端に恐れます。

叱られて、コンチクショーって頑張るとか無い。

(この人は、人の心がわかる人かそうでないか)を、まず見極めるように思う。

それは、やっぱりメスの生物だから、子どもの心を傷つける恐れのある男性は、無意識に排除する方向に

遺伝子のレベルでなっていて、

危ない人を好きにならないように脊髄で反射するみたいなもので、

たとえば、女子高生くらいになると、父親に嫌悪感をもつのは、

繁殖が生物の一番の主で、近親相姦は良くない繁殖だから、

体内物質のものすごい近い男性、それと、ものすごく遠い男性は、生理的に、はじくようになっている。

あまりにも遠い人も、条件が違いすぎれば子育てにマイナスになるから、

意識でなく、遺伝子のレベルで、それほど近くも遠くもない、これなら大丈夫を選んでいるらしい。

生理的に無理というのは、意識じゃないから、理屈でないから、どうにもならない。

そういう意味では、堀江貴文という人は、カリスマ性とかすごいとは思っても、

それは術をもっているのであって、こうゆう人は気を付けないといけない感じがしてしまう。

ヒトラー並みに国を動かせる人に思うから怖い。

橋下維新は、あと一歩までいったけど、求心力を失った。

堀江貴文という人は、ネットを駆使すればIT党でもなんでも作れるし、大きな勢力になると思う。

だけど、話に惹きつけられてうんうんと思っても、野心のある人間には、注意をしないといけない。

改革はしていかないといけないけど、ベクトルが違う改革なら現状維持の方がマシ。

リスクをとれといわれても、

女性には無理。

女性の子どもを産む遺伝子がリスクを望むわけがない。

これは理屈じゃないからなぁ。

何故感情が理論の先に立ってしまうか、多分彼にはわからないでしょうね。

アインシュタインは、「罪の無い日本人を原爆により殺傷して申し訳ない」と涙ながらに詫びたという。

それで湯川秀樹は世界平和維持活動にも参加するようになり、

スペシャリストである前にヒューマニストであるべきだ」と、

湯川秀樹のこの言葉は科学者だけでなく、人の上に立つものすべてに言えることで、

日本の古典、老子荘子の思想にも造詣が深い。

ヒューマニズムや情緒の部分に欠けたスペシャリストは危ない。オウムの幹部もそうでしょ。

ヒトラーもそうだけど。高い能力で人を煽動出来てしまうから、

とにかく野心のある人間には、注意をしないといけない。というのは一般的な心理と思う。

だいたい、

天皇制をやめて、大統領制がいいなんて、

冗談じゃない。

完全に実力主義になるじゃない。

なんでも即決で、すべて競争社会になったら今より殺伐とするし、

役に立つ者か立たない者かで人の真価が問われる傾向がますます強くなる。

アメリカはそれで精神を病んでる人だらけ。

まぁアメリカはそれも商売になってるから良しなのかもしれないけど。

文章読本』の中にあった。役に立たないものが人を作っていく。鍛錬となるって。

昔はそういうものが家の中にも、あった。

ボケ老人とかもある意味そうだと思う。

毎日の生活にボケ老人がいると、それは大変です。

そうやって役に立たない厄介なものがあるから、育くまれる心もある。忍耐って大事でしょ。

いらない部屋、いらない廊下がどんどん減っている現代。

必要最低限で暮らす方が合理的だけど、不必要なものから尊い心が養われてきたこと、

それは、ツイッターのように手っ取り早く簡単に得られるものではなくて、

時間をかけて熟成されていくもので、

今の時代はスピード命で、ツイッターで要点のみすぐにわかるのが便利ではあっても、

将来的にそれが、良い影響をうむかどうかはわからない。

堀江貴文はとにかく刺激が無いと生きてゆけない人だと感じる。常に刺激。

昨日と同じ今日を慈しむことが出来るのもまた幸せなことなのだけどね。