アラブの春の悲劇


シリアのアサド政権はイスラムの中でも異端でイスラムの仁義が通りません。

シリア国民の大多数はイスラムで、アサド政権に不満を抱いていた。

特にイスラム原理主義

原理主義とは、私もよくわからなくなってしまうのですけど、

原理に忠実な人ですね。忠実でありたいがために、自分の信じる以外を認めない。

いきすぎた原理主義は犯罪さえ正当化します。

オウム真理教もそう。自分たちは正しい。それを邪魔する者は排除、すなわち殺しても良いと思ってしまう。

これほど身勝手で迷惑なことはありません。

自分たちが信じるのは勝手ですけど、

原理主義は、それを認めない側の人間を排除しようとするから困るのです。

でもね、

それを絶対悪だ。と言い切ってしまえばそれももまた原理主義になってしまう。

人の思考は原理主義で出来ているところが、ややこしいところなのです。

愛は永遠。

と、もしこのことに純粋に忠実であろうとしたら、人は一生でひとりしか愛せなくなくなります。

そのことに忠実であろうとすると、他を一切認めてはいけなくなってしまいます。

個人の原理主義はかまわないと思うのです。どれだけ愛そうが、一途に求めようが素敵なことです。

なので、原理主義が悪いのでなく、原理主義を世の中に持ち出すことがいけない。

一途とは道が一本しかないことです。

それはとても純粋な考え方なので、間違いではないのです。

間違いではないから、余計に厄介なのです。

どんな事も突き詰めていくと破綻してしまう。ということなのだと思います。

キリスト教でもユダヤ教でもイスラム教でも、1割程度の原理主義の人たちがいるようです。

『過激派』といわれるのは、他を排除してまで自分たちの考えを通そうとするから過激なのです。

シリアのアサド政権は、イスラムの中でも異端と見られていて、

シリア国民の大多数はイスラムなので、アサド政権の自分勝手なやり方に不満をもっていました。

特にイスラム原理主義者たちにとっては、アサド政権の腐敗は我慢ならないものだったのでしょう。

そんな政府に反発するイスラム原理主義者を虐殺してきたのがアサド政権で、

一般国民もテロリストをさえも、恐怖政治でおさえつけてきました。

イスラム原理主義者を鎮圧することは、世間的には『テロ対策』で通ってしまいます。

アサドの政府軍と、反発する国民から成り立つ反政府軍で内戦状態になろうと、

イスラム原理主義が殺されているのなら放っておこう・・・

それが国際的な介入が遅れた一因でもあると思います。

反政府軍に、アサド政権に長年の恨みのあるイスラム原理主義の過激派が多く含まれていないはずがありません。

日本は反政府軍を支援し、シリア国民に物資の支援をしているそうですけど、国民には届いていません。

届くほど安全と信頼が確保されていないから軍事介入が必要うんぬんになっているのです。

支援は私たちの大切な税金です。どっかいっちゃいましたでは済まされません。

日本は武力の前には無力です。

無力な者が、自己を過信し、支援などしてはいけないと思うのです。

そういうことがまた火種になるのです。

日本に出来ることは、すべてが鎮静化された時にシリア復興に全力で協力すること。

最初は、アサドの悪政に反発し立ち上がったシリア国民。

アラブの春で、自分たちの国も平和になると期待していたと思います。

それが今はロシアとアメリカの争い、宗教の争い、民族の争いと、

世界を二分する大きな戦火の渦になりなりかけ、シリア国土はもう誰の力でもいかんともしがたい状態で、

シリア国民は難民として避難するしかなくなっています。

いくらなんでも気の毒です。

アメリカはそんな場所に空爆をし、沈静化を図ろうとしています。

でも、世界には絶対的な決まりごとってあると思うのです。

単純にいえば、

核をもっていても使ってはいけない。

地球が吹っ飛んでしまいますからね。

アメリカは化学兵器の使用は人道的に許されないと言っています。

私には化学兵器が悪く、空爆は許されるという論理がわかりません。

イギリスはギッリギリのところで、安保理決議無しの軍事介入を先送りすることにしました。

これは、欧米社会の変革の第一歩のように思います。

大義名分さえあれば、なんでも合法としてしまう欧米が少し変わり始めたのではないでしょうか。

イラク戦争の過ちを2度繰り返したらただのバカです。

どんな凶悪な殺人犯にだって大義名分くらいある。

もう大義名分での殺戮の過ちに、いい加減気づかなければいけない。