心をもっと高いところに



沈黙の春 (新潮文庫)

沈黙の春 (新潮文庫)


私たちは心をもっと高いところに向けるとともに、深い洞察力をもたなければならない。

残念ながら、これをあわせもつ研究者は数少ない。

生命とは、私たちの理解をこえる奇跡であり、それと格闘する羽目になっても、

尊敬の念だけは失ってはならない・・・

生命をコントロールしようと殺虫剤のような武器に訴えるのは、

まだ自然をよく知らないためだと言いたい。

自然の力をうまく利用すれば、暴力などふるうまでもない。

必要なのは謙虚な心であり、科学者のうぬぼれの入る余地などは、ここにはないと言ってよい。

以前ラジオにゴリラが大好きな高校生が出て、

ゴリラを専門に学べるところが京都大学しかないから、難しいけど受験頑張ると言っていた。

それだけゴリラが好きなら、入学させてあげたらいいのにって思う。

本来学問とは、何が好きで、何が学びたいか。

学校により特色があって、偏差値一辺倒で決めるものでもないと思う。

日本の均一化された教育の在り方が、純粋な子供たちの潜在能力を潰してしまっている気がする。

色んな子がいて、色んなことを学ぶ子がいて、

どんな好きも、どんな勉強も、宇宙とリンクし、還元されていくものに思うから、

多種多様であるほどいいと思うのだけど。

今の一辺倒、一本径の教育では、世の中がますます偏っていくように思う。


自分と家族が食べる分だけの農耕の時代なら、化学薬品は必要なかったと思う。

でも農業、工業という産業となると、

自分の分を超えた広大な土地で、効率的に行われなければならない。

それには、害虫を手でとっていたら利にならない。

すべてが合理化の元に行われる。

太陽からの紫外線や、石や岩にも発がん性物質はある。

でも現在は、人間が作り出した発がん性物質がいたるところにあふれている。

朝起きてから夜寝るまで、生まれてから死ぬまで、化学化合物を避けて生活することは出来ない。

着色料、保存料に含まれる発がん性物質

化粧品、洗剤、建材に含まれる発がん性物質

身の周りにいくらでもある。

1つ1つは安全基準量以下でも、それらを多重に摂り込めば、

安全基準量など、あってないようなもの。

1つ1つの化合物は問題は無いとしても、

体内で他の化学化合物と合わされば、どのような化学変化が起きているかは未知の世界。

ガンの特効薬は次々開発されている。

薬の開発に途方もないお金をつぎ込んで研究開発は進んでいる。

でも根本は、発がん性物質を無くしていく方向が、もっとも真っ当な人間の生き方なのではないかと思う。

人間が作りだしてしまった発ガン性物質がいかに多く、

何故毒を食べ、何故毒を浴びる必要があるのか。

紫外線や、石や岩からの放射線だけでは、ここまでガンは多くならなかった。

人間の化学の力が、人間を死に導いている・・・


この本は難しいことは書いていない。

農薬散布のデータをただひたすら書き連ねてある。

そのデータの量が半端ではないので、読むのも大変だったけど、

私の薄らとぼけた考えを覆させる力のある本で、読んで良かったと思う。

この本に答えはないけど、

50年たった現在も答えは出てないけど、

『心をもっと高いところに・・・』は、とても大切なこと。

その気持ちだけは持っていたい。