沈黙の春


ゆうべは0時過ぎに戦闘機が2機飛んでた。

うるさいのもあるけど、

そんな時間に飛んでいると何事かあったのかと布団の中で不安になる・・・

日本を守るため働いている米軍の人たちもいるかと思うけど、

夜中に不穏な感じがして、心がザワザワする。



沈黙の春 (新潮文庫)

沈黙の春 (新潮文庫)

読むべき本として常に名前があげられている本。

もう50年も前の著作なのですね。

50年経った今、個々の化学薬品に対しての見解は変わってきているかもしれない。

それでも、この本を読むと殺虫剤、除草剤の恐ろしさに背筋がゾっとする。

私は、こういう類のものを使っているのかと・・・

国の出す安全基準など、

個々の身体に関していえば、なんの保証も無いに等しい。

花粉にしたって、ひとりひとり、許容量なんて違う。

同じ量の花粉を体内に入れても、反応してしまう人と、許容出来てしまう人と。

ウイルスも発ガン性物質も農薬も多分、許容量は個々で違う。

人間十把一絡げで考えるのは簡単だけど、そういうものではなく、

ひとりひとりで考えなければいけないことに感じる。


偶然にも、コガネムシの話がのっていた。

私にとってはタイムリー。

昨日は親一匹、幼虫一匹、さなぎ一匹を捕殺した。

コガネムシは本当に厄介です。

親も困るけど、幼虫は土の中にいて、植物の根を食べてしまう。

土の中なので、植物が弱ってくるまでその存在にまったく気づかないから困るのです。

うちの小さな花壇くらいなら、たまに掘り起こせば被害にあうことは無いとしても、

飛んできてしまうのだから、果てしない闘いです。


日本から偶発的に入ってしまったコガネムシが、アメリカで繁殖した。

その為政府は、空中から殺虫剤を散布した。

人も家畜もいつもと変わらず生活しているところに空中から殺虫剤をまいた。

その結果、コガネムシの幼虫は土の上に這い出し死に、コガネムシ以外の虫も死に、

それを啄んだ鳥が皆死んだ。

鳥だけでなく、リス、ウサギ、飼い猫も死んだ。

なんの罪もない動物たちが神経系統を侵され、苦しみながら死んでいった。

高価な薬を散布しても、コガネムシは他の場所へ移動して飛んでいったにすぎなかった。

自然大破壊。

このようなことが、コガネムシだけでなく、戦後当たり前のように行われてきた。

土壌を汚し、地下水を汚し、

無害な化学薬品と無害な化学薬品が、川で合成され、有害なものに変化をし、海に流れていく。

なんと怖しい・・・


共存共栄の難しさを実感する。

自分にとって不利益になる存在とどう向き合っていくか。

自分が幸せになる権利があるのと同時に、他の人も、動物も虫も植物も幸せになる権利をもっている。

自分が幸せになろうとすると、他の不幸せと、必ず衝突してしまう。

幸せを求めるとは、そういうことなんじゃないのかと、身震いするほどの恐ろしさを憶える。


この本は50年前のもので、DDTはすでに輸入禁止になってもいるし、発がん性物質かどうかも、

判断をすべて科学に委ねられるほど、生命自体がわかっているわけでもないと思う。

それでも、自然環境と人間の在り方を問うものとして、お灸を据えられた感じがする。

日本でもアメリカでも、まだこれから開けようとする地域でも、環境問題は必ずついて回る。

薬を使えば早い。

熱もすぐ下がる。

虫もすぐ死ぬ。

雑草も根絶やしできる。

そんな合理的な解決のうしろに、さらに大きくなった問題が必ず待ち構えることになる。

より耐久性をもったウイルス、より毒性をもった動植物、

目の前の解決を図るたびに、問題をより大きくしている現状。

TPP、グローバル化によって、これから益々世界からより自由度高く様々な物が入ってくる。

その波は止めることは出来ない。

でもその中から何を選ぶか自分で選択することは出来る。

私個人の問題として、除草剤、殺虫剤をこれからも使うかどうか、迷う・・・

「迷った時は困難な方を選ぶと、大抵間違いないよ」とは三浦綾子の小説の中にあった言葉。

生まれたすぐから、薬漬けの現代。一考の余地有りです。