葉っぱからのメッセージ


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葉っぱの平べったい部分を『葉身』という。

枝に繋がる軸の部分を『葉柄』という。

光合成をして、炭水化物を作り出すのは、葉身の部分。

炭水化物工場として生産をあげているのは葉身で、葉柄は非生産部門だ。

でも光合成をするには、太陽エネルギーが必要で、

より多くの光を受けられるように、葉柄が太陽に向け角度を変えたり、

また葉身が密集しないように枝からひょいと伸びて、二酸化炭素をより多く吸収出来るようにしている。

非生産部門であっても、葉身をサポートする役を担い地味ながらいい仕事をしている。

社会は、皆それぞれ分相応の役目があるのだと思う。

それは多分難しいことでなく、生まれもって備わっていることで、

視覚社会では目にみえないことは評価はされにくいが、

誰でもきっと誰かの何かの為になっているのだと思う。

もしかしたら、長い歴史の中では、突発的に何ともリンクされない者もあったかもしれないけど、

自然淘汰されたかもしれない。

この世に生きる者は、何者かとリンクし、助け合うことで、生きることを許されているように思う。

ひとりぼっちは、心の問題で、決してひとりぼっちではない。

常に誰かのためになっているし、何かのおかげで生きている。

炭水化物を作れるのは植物だけだ。

もし人工で炭水化物を作ったら、世界食糧危機は無くなるのかもしれない。

でも生態系はめちゃくちゃになり、代わりの何かもっと大事なものが失われるように思う。

本当は宇宙にある物でリサイクルしながら生きてゆくのが理想なのだろうけど、

使っては廃棄。

使っては廃棄。

宇宙にある物は有限であって、いつか底をつく。

その前に人間は、新たなエネルギーや新たな食糧を生み出すと思う。

でも、その分、もっと大切な何かを失うことになるんだろうけど、

宇宙にある物が有限である以上、生態系が壊れゆくのも必然なんでしょうね。

合成着色料には石油が使われているというのを昔どこで耳にした。

原材料に石油と表示されていたら誰も買わないと思うのだけど・・・

人間が何でも作れると思ったら大間違い。

植物の作る炭水化物が無かったら、動物は生きられない。

『葉柄』1つとっても、今私が生きていくにはお金よりずっとずっと尊いものなのです。

視覚社会では目に見えない物の有り難みは、認識しづらい。

お金に換算出来ないものは評価をされにくい。

人間だって、評価とまったく関係ない世界でいい仕事をしている人はいっぱいいると思う。

むしろ、お金は虚構かもしれないし、虚構に換算出来ることはたいしたことじゃないのかもしれない。

「でも、目には見えなくても誰もがこの世でいい仕事しているんだよ。」

と、葉柄がいってくれているように思う。