はじめての植物学
鳥がさえずり出すのが4時半頃。
人間が起き出す前の空気の澄んでるこの時間が大好きだ。
特にこの季節の早朝のちょっとひんやり感が、たまらなくキモチいい。
動物たちだってまだ夢の中、花だってまだ開いていない、
鳥だけがこの時間の爽快さを知っている。
このところ、犬を早く休ませたくて毎晩犬と一緒に9時には布団に入ってた。
毎晩9時に寝ていたので、目覚めも当然早い。
鳥のさえずりについつい起きだしてしまうこともしばしば。
だいぶ前から布団の中で携帯を見るのは一切ヤメた。
なんというか・・・
暇つぶしでそういうものと戯れるより、
布団の中くらいは依存しないように。
以前は、目覚めるとまずNYダウを見たり、メールを気にしたりしてたけど、
朝がそんなことで始まったら、せちがらい。
友達に「寝室に携帯置きっ放しにしてた。メールもらったの気づかなかったよ。ごめんね。」と夕方になって気づいてメールすると、
友達「枕元に携帯もっていってるんだ!偉いね。私はいつもテーブルに置きっぱなしだよ。」と。
(笑)
そんくらいがいいんだよ。
何かあったら・・・
その時はその時でしょ(笑)
そう考えないと、キリがない。
情報を知らないばかりに、困った。損した。
も、いいじゃない。
何かを得るには、必ず他の何かを犠牲にしている。
恋はいいけど、楽しい分だけ苦しみもある。
本気の恋はこれ以上ない苦しみももたらす。
楽しいことには苦しみがあるし、嬉しいことには悲しみがある。
逆もそう。
そういうものだと思う。
大きな幸せには、苦痛もつきものだと思う。
だから、誰がうらやましいとかも、本当は無いんじゃないかな。
皆そんなシーソに乗って、ギッタンバッコしている。
帯に『動けないから強くなった』の文字とたんぽぽの写真。
そうか・・・
光合成は生物のうちで植物のみが生み出した化学合成であることと、
その産物に頼って私たち人間を含むあらゆる生物が生を全うしていることである。
光合成を営むクロロフィルは太陽光の主に赤と青の領域の光を利用し、
中間の波長である緑の部分の光を捨てている。
葉が緑にみえるのはこのためである。
葉の生い茂った樹林下の光は、人間にとって刺激的な赤や青の光が葉によって濾過されてしまうため
癒し効果があるといわれている。
森林欲はこの光の特性を利用している。
太陽の光エネルギーを『生物用』のエネルギーに変換しているのが植物である。
植物がなければ、なんぴとも生存不可能・・・・・・
誰でも知っているこんなことでも、改めて説明されると感慨深いものがある。
私は今、毎日カタバミと闘っています。(笑)
カタバミは、触れるだけで種子を飛ばす地雷型の雑草で、
抜こうにも触れることさえままならない。
しかも種子に接着剤のようなものがついているので、人や動物、虫にくっついて、遠くまで運ばれる。
地下茎は深いのでもう諦めるとして、
せめて種をつけないように黄色い花の根絶に日々パトロール強化中です(笑)
『片喰(カタバミ)』というネーミングも恐ろしい。
雑草って『ホトケノザ』とか『ドクダミ』とかネーミングからして、可愛くない。
片喰(カタバミ)も、園芸用に品種改良されたものは
オキザリスというオシャレネームになって売られていてお花はとても可愛いのですけど、
片喰のイメージがあって、どうも買う気にはならない。
地球上から人間がいなくなっても、動植物は生きていける。
でも植物が絶えたら人間は生きてはゆけない。
もっと言ってしまうと、
お金なんか無くってもいいけど、植物が無かったら人間は生きてゆくことが出来ない。
植物が光合成をして作る炭水化物が生物の命綱なのだ。
この世の中は、目に見ることの出来ない有り難みがいっぱいあって、
視覚世界では、それらは蔑ろにされやすいのだと思う。
根が張れないところに植物は育たない。
砂が動いてしまう砂漠、都市のコンクリートで固められた道路、雪や氷で被われた極地やエヴェレスト山頂、洋上、
すべて植物が根を張って暮らすことが許されないのだ。
そういう地が世界にはいっぱいある。
ほとんどの植物は大地に根を張って暮らしている。
それがゆえに植物は簡単に移動できない。
たとえ現在の暮らしている場所が、暮らしに不向きになったからといって他の場所に移動することは植物には叶わない。
自分の代では移動できないのが植物である。
でも植物だって生き物だ。
生きていく為、動けない為に、全力を尽くしている。
それゆえの葉っぱの形の違いだったり、姿かたちの相違なのだ。
動けないから強くなった・・・・・
良い言葉だなー。
人間は、動けなければ、いかに動けるようにするか、そちらばかり考える。
科学の進歩で、変えられない前提が無くなってきているからだ。
動けなければ動けないなりに必死に生きる道を模索する植物は、本当に面白いことをしている。
植物に感情が無いなんて、決めつけられない。
植物も人間も元は同じ生まれなんだもの。同胞。
草が緑なのもちゃんと理由がある。そんな植物の声をもっともっと聞きたくなる。