先は長い


今日には退院出来るんじゃないか・・・という小さな希望が絶たれた。

今すぐ死ぬという状態ではないけど、良くもなっていない。

痛み止め、吐き気止めの点滴を続けながら、絶食で内臓を休めて、自力での回復を待つしかない。

ともかく待つしかない。

わかるのだけど、病院からの帰り道、歩く気力すら出ない。

道端にしゃがみ込みそうなのを、這いずるような思いで家まで帰ってきた。

歩く気力も無いけど、ジっとしていることも出来ない。そんなのは耐えられない。

網戸の張替えをして、

そしたら網戸の動きが悪いのが気になって、桟の掃除をして、

それでも良くならなくて、556をスプレーしたら、滑りが良くなった。

そしたら今度は、窓ガラスの汚れが気になったので窓ガラスを磨いて、

次は、テラスの汚いのが気になって、磨いて。

これではキリが無い・・・


今日もイライラはマックスで。

なんとか気持ちをコントロールしようと試みてはいるのだけど、

その度に少し持ち直しもするけど、

やっぱりダメ・・・

正常な人と正常じゃない人がいるわけじゃなくて、

正常な時と正常じゃない時があるだけなんじゃないかな。誰でも。

外的要因で幾らでもいつでも変わってしまう。

天使と悪魔がいるんじゃなくて、

天使の時も悪魔の時もある。

ゴールデンウイークのショッピングモールは混雑していて、

男の子が「ママ〜ママ〜ママどこ〜!」と泣き叫んでいるのに、誰も気づかない・・・

すぐそばにいる店員さんも話に夢中で気づかない。

「ママどこかな〜。一緒にママ探そうね。」と手を引いて店員さんの所へ連れて行った。

なぜこれほど、人は人のことに気づかないのだろう。

私、多分今病んでる。

病んでる人と病んでいない人がいるんじゃなくて、

病んでる時と、病んでない時があるだけなのだと思う。

私は今病んでる。

犬のことなのに、犬を犬とも思えなくなってる私が間違ってるのはわかってる。

でもどうにもならない自分がある。

今回こうして犬が入院をして、

去年も夏に入院して、

一昨年は、ほかの犬がやはり暫く入院して死んで、

その前の年も、その前の年も、手術をして、

犬を飼ってるというより、犬の命を預かっている・・・

そんな気がする。

命を預かるのは私には荷が重すぎた。

飼ってるなんてイメージと違う。

常に心配で、いつもビクビクしてる。

犬が死んで後追い自殺をしようとは思わないけど、犬を思って精神的疾患は充分になりうると思う。

無理だ。私には生き物の命を預かる度量が無さすぎた。

今日は「たまには外にお昼ご飯を食べにでも行こうか・・・」そんな話を主人としていて、

うちは外食は余程じゃないとしないから、余程なのだけど。

でも結局、主人は夜まで起きてこなかったのでお昼は食べなかった。

夜ご飯の支度が出来ても、まだ寝ていたので、ひとりでお茶を飲みに出た。

歩きながらも、カフェラテ飲みながらも、涙がこぼれそうで、

発狂するんじゃないかと思うけど、

それだと、

オモチャを買ってもらえずに、不満を爆発させているガキと同じこと・・・

結局、世の中が自分の思い通りに動かないからイライラしているだけ。

自分の心をコントロールが出来ず苦しい。

多分、犬を放って自分だけ苦しみから逃れるのもしたくないのだと思う。

主人には私がどれだけ落ち込んでいるかわからない。

それはそうだ。主人は私では無いのだから。

私の気持ちがわからないのは当たり前。

イライラしているのは主人の気遣いが無いからでなく、私自身の気持ちのもっていき方が出来ていないから。

私がこれほど犬のことをで心を痛めているのは、

私自身が、なんの心配もないほど元気だからで、それは何より幸せなんだろうけど、そんな風には考えられない。

それはそれ。これはこれ。

良くなることを祈って待つしかない・・・まだまだ時間はかかる。

1日の長さに気が遠くなる。

今日という日が早く遠い過去となって欲しい。