やりなおし教養講座
詰め込みすぎの感があるこの本。なんとか読めた。
古代の教育のあり方から始まって、今の教育制度。
たとえば理科なら
最先端の物理学ありきで、それを理解するには、大学院ではどの程度必要か、大学ではどの程度必要か、
高校ではどの程度必要か、中学ではどの程度必要か、小学校ではどの程度必要か。それで学習要領が決まっていく。
これは合理的ではあるけれど、
ふるいにかけられ、かけられ、『理科嫌いをどんどん作り出す』構造になっていると。
これでは、ふるいにかけられちゃった人たちのことを考えていない・・・
でも、ここにきて理科教育が変わるということで、
それだけ理科が現代社会と切り離せないものとなってきているのでしょうね。
そして、
高校といってるけど、これは高等教育なわけで、
95パーセントの人が高等教育を受けてれば、落ちこぼれる人がいることが当たり前で、
95パーセントの人がまともに高等教育を受けられると考える方が難しいと。
ほぅほぅ。
勉強が得意でない人間まで(私ですが)高等教育を受けてどーする!ってことなんでしょうけど、
そもそもアメリカやドイツには文部省はない。
中央政府が教育に関しては口を出してはいけないということが不文律で決まってるという。
これは知らなかった。ビックリ。
学校によって、お金があったり、無かったり(寄付金による。寄付金には地域差がある)
で全然内容は違うし、学校は元から不平等なものとして存在している。
アメリカの経済一辺倒な利己主義は、子供の頃から経済による格差をひしひしと感じて
育っているからだ。
日本はどんどん平等にしようとしている。
給食でお魚が1匹そのまま出せないのは、大小の不公平を生まない為だって。
大きい小さいがある時、どう考えるのか、魚一匹乗り越えられないでどうするんだろう。
食べ物の不平不満を人前で口にするのは恥ずべきこと!とはならないのかな。
優越感、劣等感から子供自身が何かを感じ取り、
傷つけあったり、助け合ったりして、自分の卑しさ優しさ気づいてゆくものだと思うけど、
傷ついちゃいけないんだろうなぁ。
わからなくはない。誰も子供が傷つくことなんて望んじゃいない。
なんだか・・・
子供たちが失敗をしながらも一生懸命考えて答を出していくことなのに、
あんまり細かいことまで大人があれこれ先回りして考えると、
おかしな感じになっていく気がするけど(笑)
日本人はね、本当に優しいんだと思う。相当優しい。
傷つけちゃいけない。そこに必死なんだね。
反骨精神で育てているアメリカと、
アメリカによって骨抜きにされた日本。
そこにいいも悪いもないと思う。
でもその足跡はしかと感じておきたい。