三姉妹
周りを気にせず、自分の好きに生きられたらいいな。
でも人間である以上、私には無理そう。
だからカモメのジョナサンに憧れる。
でも現実は、チェブトイキンになりつつ・・・
もし生活をもう一ぺん初めから、しかも、ちゃんと意識してやり直せたら?とね。
すでに費やしてしまった生涯は、いあわばまあ下書きで、もう一つほかに、清書があるとしたらねとね!
もしそうなったら、(僕は思いますが)われわれは誰しも、何よりもまず自分自身をもう一度くり返すまいと、努力することでしょう。
少なくとも自分のために、前とは違った生活環境を作りだすでしょう。
人間スクランブル交差点と言いたくなるような舞台で、
1度目はあらすじを追うので精一杯。2度読み返した。
2度目は登場人物を前から知ってかのように近づいて読めた。
読み返すと、伏線をちらちらっと入れてあって、チェーホフの細やかな芸が感じられる。
これは特別な話でなく、人生の一部をみるとこうなんだろうな〜。
私は長女オーリガが同じ長女として(私は一人っ子だけど)切なくなる。
彼女が自分の本当の思いを語る部分はほとんどなく、最初に(専業主婦になって穏やかな日々を過ごしたい)とつぶやくのみ。
でも現実はいつも人の世話と仕事に追われ、独身のままどんどん歳をとっていく。
私がもし末娘だったら、親の元から離れ、結婚にしても仕事にしても、自分のやりたいことを優先したと思う。
親に強制されたわけでもないし、縛られたわけではないけど、親を見ないふりは出来ない。
もし自分の好きに生きられたなら、私は海外行ってたんじゃないかと思う。
長女は自分より他の人が先になる。
私は今もやはり自分より義母の幸せを優先したいと思うし、なんだろう・・・人に寂しい思いをさせてしまうことが一番嫌。
そこを無視しては私が存在する意味ない。
夢が必ずしも上手くいくわけじゃないけど、自分で描いた夢で踏み出せる人が羨ましい。
だからオーリガは、自分の過ぎ去った昔を映しだす鏡のようで暗い気持ちになる。
次女のマーシャは自分の好きにとっとと結婚して、若い時は才能あるように見えた旦那が時が立ってつまらない男に見え、
よそのご主人に思いを寄せ、
気ままに暮らしてきた三女のイリーナは、勤労意欲に目覚め、でもいざお勤めに出たら、絶望するほどクタクタで、
好きではないけど尊敬出来る相手との結婚を決める。
三姉妹の思い描いたものとは程遠い現実と、モスクワへの夢、
男たちの哲学的な思いと、また彼らのあまりに情けない現実は雲泥の差があって、
それぞれが悲しい思いを抱きながらも希望をもち旅立ちを迎える。
その中でナターシャの小姑っぷりが一際目立つ。
この物語は、悲劇とも喜劇とも言われてるようだけど、
人生は、喜劇と悲劇の同時進行。
何かを抱え、何かを夢みて生きている。
幸福は現にわれわれにもないし、またそのへんに転がってるものでもない。
ただ願い求めるだけのことですよ。