70%
宗教は神に対する愛。愛は縛り。
恋人との関係をみれば一目瞭然。
好き勝手に他にうつつを抜かすわけにもいかず、
その行動も心も縛り、縛られる。
それがどんなに幸せであるか、どんなに苦痛でもあるか。
私はその括りの中に自分をあてはめて生きるのはいやだ。
だから宗教なんて、死んでからで充分だと思っている。
だけど、世界はキリスト教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒で70%を占めている。
世界の多くは宗教で成り立っている。
クラスの70%がその中で生きているのなら、
私は嫌いだとか、関係無いとか言っている場合ではない。それは知らなければならないことと思う。
はまってはダメだけど、知らなくてはならないこと。
ゼウス(神々の王)は弟ポセイドン(海の神)を呼び人類を壊滅させた。
インドのマツヤ神話もそう。
シュメールもそう。
神が人間の奢り怒り、洪水を起こし、人類を滅亡させる伝説は世界中に残っている。
これが天罰。神から人間への警告。
悪いことをした人間に罰が与えられるのは、ただの自業自得。
神はそんな甘いことしない。
それでは世の中は変わらない。
何も関係のない罪無き者に罰が与えられるから、
人々は神を畏れ、謙虚にならざるおえないのだ。
神を信じるがゆえに、殉教もする。人殺しもする。
神は罪多きものも助ける。神は罪無きものに酷い仕打ちをする。
その神のなさることすべてを受け入れなければいけない。それが宗教。
日本人の神の観念とは違う。
映画『マンデラの名もなき看守』で、
看守の息子が事故死する。
看守は今まで自分が囚人にしてきた罪の報いだと思い、深い後悔を憶える。
看守が囚人にしてきたことは罪とはいえない。仕事を全うしたまでだ。
それでも彼は、自分のしてきたことを悔い、自分の人生を投げ出そうとする。
「罪悪感と後悔で、その後の人生を投げてはいけない・・・」囚人のマンデラは言う。
マンデラの息子も事故死している。そこに国家の陰謀があったかどうかはわからない。
でもマンデラは自由を求め立ち進む。
日本人的発想は、マンデラは黒人解放の為に頑張ってるんだなって思う。
ちがう、ちがう。
それが白人の為でもあるんだな。
差別をしている側の救済。
日本人は、東北の大震災を天罰とは思っていない。
でも世界の70%の人間はそう思っている・・・と考えてもいいと思う。