異邦人? カミュ
昨日、
『続く・・・』と意気込んで書いたものの
1日寝てしまえば、そんなに書くほどのものもないような(笑)
ともかく、
この物語だけでなく、
世間と少し違う者は異端視され、蔑視され、そのことで余計口を閉ざし、社会の隅に追いやられていく。
社会秩序とは、集団生活に必要だけど、絶対多数で決まるだけのもので
それが真理ではないことは、国によって法律が違うことでもわかる。
裁判でさえ、裁判官、検事、弁護士が代われば判決は変わってしまうのだから、
信じるべきものは、つまるところ・・・己の魂というしかない。
何が善くて、何が悪いかは、自分の心が決め、自分でその責任を負う行動をしていくしかないのだけど、
自分の思うままに生きようとすると、どんどん社会通念から外れ、人間失格の烙印を押されかねない。
そうやって、どんどん虚無的になっていくその心情を、誰が察してくれるのだろうか。
と、思ったら
のエッセイ『せめて一度の人生ならば』にも、こんなことが書いてあるのを発見した。
異端であることを恐れることなど少しもない。
踏み外すべきでないのは世間の道徳律ではなく、自分自身のうちなる道徳律のほうである。
自分自身の道徳律を持たず、
世間からはみだしうしろ指をさされることをひたすらに恐れて生きている人ほど、
世間の道徳律を踏み外した人間を手厳しく糾弾するものだし、
自分は決して間違いはしないと傲慢にも信じて生きているひとほど、
他人に対して酷薄なものだ。
それはちょうど、
差別する側の人間には差別される者の痛みが決してわからないのと同じである。
世間からは叩かれようと、異端児ガンバレって感じだ。
私が異邦人を2回読み直して、ずっと色々考え、導き出した答えが、
池田さんのこの数行で簡潔されてしまった。アレレ・・・って感じ・・・(笑)
今の日本は、人間が画一的過ぎる。
日本全土がそうだから、自覚出来ないことが見えざる悲劇なのだけど。
池田さんはこうも言ってる。
人間というのは決して幸福になるためにこの世に生まれてくるわけではないということだ。
んと・・・
大胆にかっこいい。さすがベルバラだな。
こういうことを、きちんと言ってくれる人が必要だと思う。家でも学校でも。
バラはバラは 気高く咲いて
バラはバラは 美しく散る