銀河鉄道の夜

宮澤賢治に聞く (文春文庫)/井上 ひさし
¥650
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井上ひさしの本を読みたいと書店をうろついていたら、こんな本に出会いました。

もう笑っちゃうくらい、井上ひさし宮澤賢治が好きみたいです。

あまりにも好きすぎてあせる

「その話、さっきも聞いたヽ(;´Д`)ノ」

と言いたくなるくらい内容重複だったりするんだけど、

その情熱に釣られて『銀河鉄道の夜』も引っ張り出してきて読みました。

銀河鉄道の夜』は久しぶりですが、やっぱりわからない部分いっぱい。

でも、わからない謎がとけました(^_^;)

(わからない謎がとけただけで、わかったわけでは無いです)

賢治の本は生前は2冊しか出版されず(その2冊も自費出版

あとは死後出版されたもので。

銀河鉄道の夜も、文中に

(・・・このあと原稿3枚ほど不明・・・)とか出てきます。

普通なら『わかりにくいから出版社で校正』を要求されるような箇所も手直し無く、

そのままの形で出版されたようです。

しかも

驚いたことに

今の『銀河鉄道の夜』と

私の家にある『銀河鉄道の夜』では

違うということ。

へっ?!って感じです(笑)

大筋では違ってないですけどね。

いや、解釈の上ではまるっきり違うようですが、

どっちにしても、私にはあまりよくわからないので関係無いです^^;

今、これを読むと、3.11の大震災とダブって考えてしまい涙出てきます。

宮澤賢治が岩手の人で、郷土愛の強い方でしたので余計に重なります。

このお話は賢治が最愛の妹を亡くし、その思いから描かれたようです。

(その妹が死んだ時の詩も、どうしょもなく泣けてきます)

私は、『死』を前にすると、どうしても母のことを思い出してしまいます。

今回の震災をTVで見て、聴いて、震災の怖さがわかったと言っても

本当の恐怖、苦しさ、哀しみは、

実際に震災にあわれた方にしかわからないと思います。

それもおひとり、おひとり、皆違うと思うのです。

母の事故の時はどんな慰めの言葉もつらくて、

かけてくれた言葉に答えることも出来ません。

本当に有り難かったのは、

担任の先生が、何も言わず抱きしめてくれたこと。

泣きじゃくる私を抱きしめて、背中をトントンしてくれたこと。

「今は、かける言葉は無いから」と言ってくれたこと。

悲しみと、

苦しみと違うそうです。

悲しみは何も無いのです。

恨むとか・・・怒るとか・・・そういう対象も考えられなくて

表情も無くなり、能面になります。

今回神谷恵美子さんの本でそのことを初めて知りました。

私が加害者に対して1度の恨みも感じなかった理由がようやくわかりました。

私は苦しさを知らず、母が死んだ悲しみのみだったのですね。

悲しみから苦しみに移行するすることなく、ここまできたのでしょうね。

私の心が解放されたのは10年たってからです。

10年たって、ようやく母のことと向き合えるようになりました。

それまでは一切口にせず、そのことは心の中だけに封じ込めていました。

そう考えると、

父の死は苦しみのほうが大きい気がします。自分をいくら責めても責めきれないです。

私は、自分は安全な場所に身に置いての心の傷ですが、

今回の震災で

大切な人を亡くされた方、

家を街を流された方、壊された方、

今も不自由な生活を強いられていらっしゃる方々、

もうその恐怖と心の傷はやはり想像をもつかないです。

マグニチュード9という数字も、地球の軸がズレたという話も

想像の及ぶ範囲を超えています。

街が復興されたとしても

それと心の復興はまったく別の問題に思います。

私は母の事故があって

私よりも父が可哀相でしかたなかった。

子供なのに、自分のことより父の哀しみの深さに同情してしまうんですね。

不思議です。

父が死んだ今もその気持ちは変わらないです。

あの時も本当は、心のケアが必要だったのかもしれないです。

そんなものの無い時代でしたから全部心に隠したまま生きてきましたけど、

心のケアは大事だと思います。

一番悲しい思いをされてる方が、一番心を外に表すことが出来ない。

ひとりで全部抱え込んでしまわないことを祈ります。

目の前に傷ついている人がいたら

黙って強く抱きしめる

私にはそれしか出来ない。

少しでもその悲しみが自分に流れてきてくれたらいい・・・

銀河鉄道の夜もそういう悲しみから生まれた作品です。


銀河鉄道の夜

銀河鉄道は死んだ人が天国に行くのに乗る列車です。

天の川を走り、各星座が駅になってます。

(途中下車する人もいるから・・・天国に行けない人もいるってことなのでしょうか・・・)

この辺が、ちょっと宮澤賢治わからない(悩)


主人公ジョバンニ(生きてる)は、仲良しカムパネルラ(友達を助けようとして川で死んでしまった)と

その銀河鉄道で旅をします。(その時点で天国に行くとはわかっていないです)

ジョバンニが生きてるのに乗れたのは、心が美しいまま、あの時心だけ死んでしまっていたからでしょうか。

その辺もよくわかりませんガーン


途中で男の子と女の子の姉弟が乗ってきます。

その子達は、タイタニックのように乗っていた船が沈没して死んだのです。

人を押しのけてまでボードに乗ることはやめて、そのまま溺れてしまいました。

その姉弟銀河鉄道に乗ってきた時は、

二人ともがたがた震えて裸足で泣いてました。

どれだけ怖くて、どれだけ寒くて、今もどれだけ不安かと思う。

でも、

列車に乗ったら

「さっき裸足だった足にはいつか白い柔らかな靴をはいていたのでした」

と。

『白い柔らかな靴』

もう寒くないのですね。そして白い柔らかな靴は、天使を想像させます。

これからは神様に一番近いところで見守られて過ごすのかと思えば、少し救われた思いがします。


宮沢賢治は死ぬことは悲しいことではないと伝えてくれています。

この姉弟は、もう寒くない。幸せだけが待ってるところに向かうのです。

天の川(星たち)もダイヤ、サファイヤ、様々な宝石のごとく描かれ

風も吹いて 金のススキは揺れ リンドウは咲き 音楽もあって(新世界交響曲

みんながその中を列車に乗って旅をして天国まで行けるのなら、

少し安心した気持ちになります。

サザンクロスが終着駅。天国です。

もうそこでは、皆楽しそうにハレルヤを歌いながら降りていきます。

あの姉と弟も降りていきます。

幸せな場所に向かっていくのです。

この本を読んでいると、本当にそんな列車があるように思えてきます。

私も死ぬ時は乗りたい。そんな願いが叶うように生きていきたいです。

この物語で一番辛いセリフが、

川で溺れたカムパネルラを捜索中、カムパネルラのお父さんが言います。


「もう駄目です。(川に)落ちてから四十五分たちましたから。」

あきらめなんて、本当はつくわけないんです。

でも、もうこれ以上周りの人に迷惑をかけられないから捜索を打ち切るようそう言ったんだと思います。

なんでも震災と繋げて考えてしまうのも失礼なのですが

やはりこの声が震災とだぶってしまって・・・・・

あきらめきれてなんていないですね。

あの瓦礫と言われるものの中にも、もしかしたらまだ大切な大切な・・・

そんな思いをしてる方もいらっしゃるんじゃないかと。

本当に私は何もわかっていない。

外に出せない声が心配です。

銀河鉄道の夜は、何度読んでも良くわからないとこ多いです。

化学と科学と宗教と自然が、おもちゃ箱をひっくり返したように一緒くたになってるからわからないです。

それに四次元の時空も飛び越えた世界観で、何をどう考えていいのか見当もつきません。

宮沢賢治にとって、それは自分も含め同列なのです。

理解がなかなか難しいのですが、それでもそんなこと全然お構いなしで惹きこまれます。

宮澤賢治は亡くなられた最愛の妹さんのことを思いながらこの物語を綴りました。

このお話がひとりでも多くの方の胸に届きますように。


「本当にどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら

峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」