努力論。
今日の一言一句
人間の第一義は
何を為すかということではなくて
何であるかということである。
ようやくこの歳になって そのことがわかってきた気がする。
まずはそこ。
ますそこを思わないと がんばる方向が違ってしまう。
まだ冒頭の部分しか目を通してないのだけど
1ページで4回辞書をひいた。
古文、漢語も多様しているので、
辞書も国語辞典だけでは足りない。
読むのにものすごく難しいわけでもないけど、簡単でもない。
努力には、直接の努力と間接の努力がある。
間接の努力とは、準備であり、礎である。
そこを欠くことがないように。
まずは、そんなとこから始まる。
『努力論』は、自己啓発本の類だと思う。
努力して努力する、それは真の好いものではない。
努力を忘れて努力をする、それが真の好いものである。
しかしその境に至るには愛か捨かを体得せねばならぬ、
然らざれば三阿僧祇劫の間なりとも
努力せねばならぬ。
愛の道、捨の道をこの冊には説いて居らぬ、
よってなおかつ努力論と題している。
著者識
いまどきの啓発本と違うのは、
これを読んだって、わかるものではないですよ。
と、初めに言ってるとこかな。
文体もかっこいい。言ってることもかっこいい。
そして読むのに努力を要する。
これくらい厳しい本は現代では、そうない。
幸田露伴の文章は堅い。その堅さが美しい。
明治の男らしい書だと思う。